はじめに

◇イノベーションという現象はどのように起こるのでしょうか?

この読本では、イノベーションというちょっと判り難く、あいまいな現象を、そのプロセスとしてのランドスケープで捉えてみたいと思います。

従来から、シュンペータやアンゾフのようなイノベーションにはどのようなものがあるか等の類型化論や、クリステンセンやジェフリー・ムーアのようなイノベーションにはどのようなジレンマやキャズム等の死の谷論や、またタリーズや川喜多二郎のようなイノベーションの発想法などが多く発表されてきました。

これらに共通するのは、イノベーションを如何に起こすかという立場のように思われる。ここでは、イノベーションは起きるべくして起きるものであるとする立場から眺めてみたいと思う。
つまり、イノベーションという活動を、そのプロセスを通した自然な流れのような進化現象として整理してみたいと思うのです。

”イノベーションは、いまこの状態と、すぐ未来にある好ましい状態とが出合う時、体験的集合知が働くプロジェクトの場で起こります”、と言い切ってみたいのです。

つまりこの立場は、昨今注目のラルーのティール組織論と似たマネジメント論とでも言うべきものと似ているかもしれません。

◇イノベーションはどこに向かう、何の流れなのであろうか?

イノベーションは、なぜ起きるのだろうか?また、なぜ人々や企業や社会は、イノベーションに何を望むのでしょうか?

もし、社会は、常により豊かさを求めるとすると、イノベーションは、その条件になるのでしょうか?
もしそうだとすれば、イノベーションとは何か、社会が求める豊かさの意味とは何か、を明確にしておく必要があります。

ここでは、社会の豊かさを、古代の哲人たちの智慧をお借りし、ギリシャのアリストテレスの”エウデモニア”と措置しておきたいと思います。
昨今、ウエル・ビーイングやハピネス等とも訳されているようですが、これは、それらの究極で永続的な状態とされたものです。そしてアリストテレスは、こうした有り様を疑う人間は居ないとして、いわば議論の出発点や、推論を組み立てる公理として置いたものでした。

中国では、兼愛・非攻・節用を説いた墨子や、自然の流れの道を説いた荘子、日本では、今その時の実在論の有時を説いた永平道元と共通の文脈として理解できるように思われます。

墨子は、自己の利益を追求すると争いが起き、結果として不幸になるので、博愛平等の精神と高い技術を持っていわば受動的攻撃性を旗印に掲げ、技術者集団を組織しました。
荘子と道元は、攻撃も守りもなく、いわば中動態的な構文的思想だったのではないでしょうか?

水が流れて川となり、ヒトが歩いて道となるように、ヒトや社会がエウデモニアに向かって生きたとき、そこにイノベーションという現象も現れるのではないか?これがこの読本のテーマです。

こうしたイノベーションのプロセスが創発する場をエコシステムとしてのランドスケープを捉える必要があります。そこでは、多種多様な資源を活用し、多種多様なゲームのプレイヤーが参加し、進化するダイナミズムが生まれています。そして、それらのプレイヤーが競って資源を再生産し、社会余剰を蓄え、各社会が進化を加速させているように思われます。
こうしたイノベーションを支え、またストレスを掛ける「社会環境」や、それらの手段となる「メディア環境」としたとき、そのパースペクティブを展望してみたいと思うのです。

◇イノベーションのランドスケープを描いてみる
単純にいえば、イノベーションという現象は、多くのゲームプレイヤがそこで生業を営む、「シティズン社会」と「ビジネス社会」と「マネジメント社会」の3の領域のかかわり方が生み出す何かではないだろうか。
「シティズン社会」は、自然人が生活する社会で、「ビジネス社会」は、いわばビジネス主体たる法人に代表されるビジネス主体が生活を営む社会であろう。

「ビジネス社会」は、ビジネス主体たる法人に代表される機関や組織が、自然人と同様に権利義務を持って社会活動に参加しながら資源や資本を蓄え、主にビジネス主体間のゲームを競っている。
法人に代表されるビジネス主体には、懲役刑も無く永遠に死ぬ定めもないいわば逆ハンデ付きのゲームで、さらにビジネス主体は大きな資源を持っている。こうしたダーウイン的な交換市場に歪みをもたらし市場の失敗を防ぐために、「マネジメント社会」という第3の社会領域が必要になるだろう。
図0.1
[図0.1]イノベーション エコシステム ランドスケープ:IELS

「マネジメント社会」は、各種の社会的規範で、大きくは国際法や国際規格や国際的取引委員会規定、また国の法や運用ルールや制度やポリシー、企業やNPOではミッションやビジョンやヴァリューや組織内標準がプレイヤの主体となろう。
さらには、ビジネス社会やシティズン社会が安心してゲームに挑戦できるようなセーフィテイネットとして、信用付与や保険的な機能が求められるだろう。
こうした各種の社会規範は、いわば社会的共通資本であって、ビジネス社会にはそぐわない。
しかし、こうした社会的規範自体も、その生存に掛けて、それにまつわる権益を守るゲームを演じ、進化を続けていると考えられる。

こうした3つの社会領域には、大きな「社会環境」の中でその資源を巡り、それぞれを構成するゲームを闘う主体が生存している。
同時にまた、大きな「社会環境」の中で、他の社会領域とも、権益を巡ってゲームを繰り広げている。
「社会環境」は、自然の動植物や水や風や地球上の天変地異のリアル・ファクトと人工的なバーチャル・ファクトとして、いろいろな領域のゲームが時空間に広がる「社会環境」と考えたら如何であろうか?

こうした3の社会領域が、ハードまたはソフトなアライアンスを組み、あるいは相争う手段は、「メディア環境」であるとしよう。
それは、各社会領域の主体が、他の社会領域の事象とリンクして相互作用する仕組みや触媒機能を持ったデータ、情報、知識等の技術のいわば記号による社会領域であり、また各社会領域の主体が「社会環境」と切り結んだり、リンクし触媒機能も持っている。

そして、そこにこそイノベーション現象が表出される媒体ともなるのではないだろうか。

そして、イノベーションは、エウデモニアへの道に沿って進む社会環境の中で、シティズン社会とビジネス社会とメネジメント社会とその構成メンバー達が、メディア環境を進化させつつゲームを展開している。社会環境に適応しつつ進む情報の流れの形相現象ではあるまいか。

これは、例えば、自然の環境から生まれた新型コロナ現象が、これらのビジネス社会のプレイヤや、シチズン社会のプレイヤや、マネジメント社会のプレイヤ達にとって何だったかをシミュレーションし、検証してみるのは意味があるように思われるが如何であろうか?
多分、多くの進化がメディア環境を進化させ、また、各社会領域を進化させていると思われる。


◇「ビジネス社会」
ビジネス社会は、複数の主体が、その特徴を活かして、協力し、社会環境と相互作用活動を行って、価値を創出する活動の場である。
そこでは、価値を作るための資源を獲得する活動やビジネスが、そのための意味のある情報や役に立つ知識としての技術、メディア環境が求められる。

ヒトの生活と社会の求める流れを良くする手段としてのメディアは、ビジネスが闘う武器であるが、ビジネス主体が企業であれば、企業文化遺伝子、アカデミアやNPOや特定のプロフェッソンであればそうした組織や専門的文化遺伝子を受け継いでいるだろう。

こうしたいわば専門家の使う数値や形式的言語と、ヒトや社会が望むエウドモニアの心を繋ぐ言葉やプロトタイプデザインが重要となる。


◇「シティズン社会」
まずここでは、ヒトがヒトや社会、そしてヒトが環境の中で生活するために、ヒトが、社会環境をどのように理解するかについて考えたい。

ヒトがエドモニアを志向する本質は、将来の我が身とそのマインドを含む情況を変えたいという、サービス変更ニーズを常に持っていることに起因するといえよう。
それは、何事かに対する挑戦であったり、危険を回避したいという願いや準備であったり、人生を豊かにする喜怒哀楽やその楽しみの追求であったりするだろう。また生活資源としての時間やお金やマインド等のヒトがその人生の資源を意味のある使い方をしたいと思うからであろう。

一方、ヒトは働いて、新しい意味や新しい価値を生み出すことで社会を豊かにすることができる。こうしてヒトは自分の自由度を確保したり、そうした貢献をすることが、ヒトの生活に意味を与えることになる。

社会環境と切り結んで資源を手に入れ、より豊かな社会に進化するために、自らが帰属する何らかのビジネスユニットに参加し、活動する。その仕事は、環境に働きかけることで、変化する環境に適応するためのビジネス社会での役割やそこでの貢献活動である。

また、人びとが生活し活用する資源やその価値は、どのような環境条件で、どのような喜怒哀楽の生活文化遺伝子で構成されているのだろうか?


◇「マネジメント社会」
いかなる組織でも、国家であれコミュニティには、有り方ややり方のルールが必要である。
それは、ともすればカオスとなる組織を統合するいわばデクテータシップで、幻想的なリーダシップではない。

企業であれNGOであれコミュニティであれ、その社会において引き受けるミッションや目指すべきヴィジョンや、行動の規範や優先度としての議論をしなくても良い価値観等を共有することは、必要条件である。
ただ、それが中国に代表される君主モデルや独裁者ではなく、常に内部矛盾を醸成させ、進化し続ける規範であるべきであろう。
いかなる主体も、何らかの善きディクテータやその従うべきルールが必要で、また環境の変化に従って進化させる仕組みが必要である。

そうしたいわゆる大きな意味での標準化活動は、それを創ることと、守ることと、何よりそれをデータに基づいて技術的に、最好適な規範に進化させることがスタンダーダイゼーションとして、最も重要である。

優れたコミュニティは、優れたコミュニティ規範をデザインする能力も備えている必要がある。
こうしたコミュニティ規範は、その各種のコミュニティを構成する主体のゲームのルールである。つまり、社会の構成主体であるコミュニティやビジネス主体は、優れたゲームの中でこそ、その能力を発揮できる。

従来、ともすれば、品質・コスト・生産のQCD管理にはコントロールという概念があった。しかし、生活者には、社会との関わり方として、仕事を通じてのビジネス主体と関わり、そこでは、自らの比較優位な能力を活かし、ビジネス主体の挑戦するゲームに参加してもらうかもテーマになるだろう。

結果として、ビジネスは、その構成員が関わり、目的をデザインし、それに向かって活動することが求められ、そこにマネジメントや、そのための技術が必要となる。それは、まず目標が与えられ、それを追尾するロケットのような科学的なプロセスではない。
目的自体のデザインにも組織のメンバーが参加するとなると、例えばQCDコントロールは、QCDマネジメントにならざるを得ない。

また、ヒトやビジネスが仕事をして、それに消費した以上の背現を生み出したとき、その言わば労働余剰をどのように蓄えまた配分すべきか。またそれを交換し消費した時の市場余剰をどのように集め蓄え配分するか、等もそのルールの一部を構成する。

社会でビジネスに関わった全ての市民の総社会的余剰の最大化を図るルールは、単純にその構成員の個別余剰の最大化ではない。
例えば、マネーで換算される価値と、個別の社会的主体が望む価値の順序を良く満たす解は、一致しない。つまり個々の価値は単純に足し合わせる結果とは一致しない。

よい社会的規範は、社会がエウドモニアを目指す、活動のエネルギーの流れを、加速できる共通的社会資本である。
仕事はすべて、”あるべき物事”や、物事にたいする構え方や振舞い方などの”あるべき規範”にかかわることである。
あるべき物事やあるべき規範とは、関係する全てのヒトにとって最好適となるべく、利用できる最高の技術を持って常に進化し続けらなければならない。

こうしたあるべき規範を進化させる”標準化”という仕事は、データ分析の仕事と並んでイノベーションの基礎である。この標準化技術のためにもデータ分析は、欠くことができない。

例えば、新型コロナで明らかになりつつあるのは、日本の医療データの品質のレベルである。これは世界的にもその低さについての評価は有名であったが、今回は、新型コロナの死者数が極めて低く、診療医や診療制度の品質の高さが評価される一方、死因の判別結果や、検査数の少なさや検査拒絶率の高さが、どのように政策を混乱させたかを検証することは、日本の医療界が大きく進化することに繋がるように思われる。
USでの病理科医の数やその運用制度の充実は、医療のビジネス社会が大きく進化するモチベーションとなるように思われる。
実は、質の高いUSの病理医の制度が無かったら、ウオークマンは、ソニーから生まれなかったとも言えるのである。医療のビジネス社会と、音楽のビジネス社会は、古くはエヂソンの時代から、メディア環境ではつながっていたのである。


◇「シテズン社会」と「ビジネス社会」を繋ぐ「メディア環境」の役割

「シテズン社会」は、ヒトがエドモニアを志向するのは、将来の我が身とそのマインドを含む情況を変えたいという、サービス変更ニーズを常に持っていることに起因することであった。
そして、「ビジネス社会」は、複数の主体が、その特徴を活かして、「マネジメント社会」とも協力し、「社会環境」と相互作用活動を行って、価値を創出する活動の場であるとした。
こうしてヒトの活動には、シティズン社会とビジネス社会との相互作用として、間を取り持つ「メディア環境」が重要な働きを持っと整理してきた。

「メディア環境」は、まず、シティズン社会が望む情況変更ニーズと、それに応えるべくビジネス社会が開発すべきプロダクツやサービス等の仕組みとの間をつなぐ手段として機能できなくてはならない。

ヒトの社会が生活し活動する場はまた、自然と人工がフュージョンした社会環境でもある。こうした社会環境における状況変更に応えるためには、ヒトが現実や将来の自分と環境の現実(リアル・ファクト)や人工的なバーチャル・ファクトを記号化したファクト・データで正確に理解したら良いかについて考え整理する必要がある。

ヒトは、眼耳鼻舌身意の6感で、色声香触法をとらえ、マルチモーダルに、メディア環境も使って社会環境下で生活している。
デジタル化とネットワーク化が進んだ現在の社会環境の場は、生活者や社会自身をもそこに写し出し、そこで生活する場、いわばメデァイを構成している場ともなっている。

ただ、まだデジタル化が進んだとはいえ、「メディア環境」は、シチズン社会が望む心を含む情況の現状とそのありたい姿を、表現する所まで、進化できていない。

一方、ビジネス社会は、その社会が秩序を保つて、新しいプロダクツやサービスの構成とそれらを再現するプロセスを開発するためには、その構成員の理解が共有できる外形的で客観的な、数値等の形式値が重要となる。

従って、新しい価値を創造する活動は、シテズン社会が持つ社会環境を含む情況の事象のイメージを表現するには、”ことば”しかない。

こうして、デジタル化時代の「メディア環境」は、データタイプが異なるシティズン社会とビジネス社会を繋ぐ役割が期待される。
従来、こうした異なった言語を結ぶのは、いわゆるインダストリアル・デザインやプロトタイプであった。そしてサービス化が進んだ結果、リビングラボが利用されるようになった。ヒトは、抽象的なデータでは、6感で受け止めることが難しく、具体的な事象に接触しないと、言葉にすべき事象するもイメージできないからである。

従来、データと言えば数値で表現できる属性に限られていたが、デジタル化で、人工的な生活環境やその状況という質的な属性までもが、計算対象としてその可能性が広がってきた。
そして、デジタル化という現象は、従来のモノ作りに偏ったビジネスから、データ処理へ、データから意味を抽出する情報処理へ、意味を抽出し計算する情報処理から、広く長く有効に使える知識処理の時代を迎えていることを示している。

しかし、データもややもすると、本来社会が求めているエウドモニアから離れ、抽象化され、理論化かされ、科学化されて、目的を見失い、道を失う危険がある。

ただ、「メディア環境」は、ビジネス社会がシチズン社会と、時に、共創しあるいは競合する活動プロセスを構成する。その結果、ビジネスプロセス自体がデジタル化し、プラットフォーマのような連続イノベーションが発現する様相を呈してきている。


◇進化しつつある「メディア環境」で働くということ

この本では、進化しつつある「メディア環境」下での「ビジネス社会」で働くということを考えてみよう。

こうしたデジタルデータを使って、ビジネス・インテリジェンスを活用することは、従来ともすれば、データ分析は専門家の仕事であるとする考え方があった。しかし、ここでは、実際の問題を抱えて、それに対処したり挑戦する全てのヒトが使えるようないわば”セルフ・サービス・ビジネスインテリジェンス”としてのデータ分析を紹介したい。
連環データ分析というA.I.エンジンが、セルフサービスB.I.として実現できる世界へご案内したい。

デジタル化によって、ビジネスに関する概念やカテゴリーが大きく変化しているとき、ヒトが構築してきたそれらの歴史を振り返ってそれらを棚卸し、整理しておく必要がある。

例えば、データは、指折り数えることができる整数から始まり、度量衡のようなある大キサを一定の区切りで数える計量値に広がり、目に見えない温度や粘度や固さ等の数値化に進化した。
そして、ヒトが勝手に機械仕掛けで開発した時間やマネー等を開発してきた。これにより仕事は計画等の時間:timeや,決済などのお金: moneyや、ビジネスツールとしてのメディア環境も進化してきた。
昨今、デジタル化の進化は、こうした数値だけでなく、音楽から始まったが音声や文字、画像や動く映像にまで、広がってきた。

例えば、新型コロナに感染したかどうかの診断は、PCRが有名になりましたが、目的の遺伝子を増やしDNAを染め出す特殊な装置に入れる事で、増えた遺伝子を目に見えるデータで確認する遺伝子増幅技術です。しかし、その判定には、コロナのレントゲンでは無理でもCTスキャンや他の発熱や咳等の属性データと組みあわせることで、コロナウイルスの採取に失敗したとしても、診断を正確にすることが可能になる。
従って、扱うデータは、数値はもちろん言葉等の多様なデータとなる。また、仕事やビジネスやそこに付随する組織やその運営に関するルールやマネジメント等の行為までもが、その対象となる。


さらに、扱うデータも、量的データばかりではなく質的データも扱うこと、また、扱う対象も、単なるモノだけではなく、コトに関するあらゆる事象やその属性に関するデータを対象になることを意味している。

例えば、診療医ならコロナによる酸素濃度を手の指の色や顔色を診たり、気だるさや体の重さ等を訴える言葉も大切な質的データとなる。
こうしたデータの意味や機能さえも大きく変わり始めているということを理解しておく必要が出てきている。

従来、事象の有無や、事象の良否や、事象をある数値に落とし込んで評価することで、何か最適な新しい施策や新製品や新サービスを評価するという手軽さを求める傾向があった。

「社会環境」も、時には、自然災害や病気や人工的な公害をもたらし、同時に食料や水や空気や豊かな自然の恵みをもたらしてくれる。
こうした、自然環境で言葉のメディア環境だった世代を第Ⅰ世代とし、進化し社会環境は物質とエネルギーの資源価値に捉われ人工的な社会環境である現在は、いわば第Ⅲ世代社会とすれば、いま第Ⅳ世代社会への過渡期としてみたいのです。

そして、”イノベーションは、いまこの状態と、すぐ未来にある好ましい状態とが出合う時、体験的集合知が働くプロジェクトの場で起こります”とし、イノベーションという活動を、そのプロセスを通した自然な流れのような進化現象として理解したいと思います。

そこで、重要となるのは、なぜことばやデータがイノベーションプロセスで如何に機能するか:Why Words & Data Work for Innovation として、整理したいと考えています。
その手段として、クロス表データを可視化し意味のある情報や役に立つ知識を、現場の体験的集合知を創発する連環データ分析:Data ComBine Analysis  Beyond Cross Data Explorerの利用法まで、解説して行きたいと思います。

◇全体の構成
この本は、全体を4篇の構成としたい。
プロローグ編では、読本が扱うモノゴトとは何かについて、ヒトが社会とつながって生きるとしたとき、仕事や仕事と社会を繋ぐビジネスというものの本質を考えてデータ分析が目指す目的を整理しておこう。ビジネスが組織と関わる役割としてのマネジメントという技術を考える。
仕事やビジネスやマネジメントが扱う、モノゴトの基盤として必然である標準化という技術活動を考察する。
こうしたモノゴトを、整理し、コンピュータとヒトの体験的知識が共創するデータの形式として、クロス表データの役割や考え方や歴史や展望を説明する。また必要な言葉や表データの構成や仕組なども説明する。

1篇は、1枚のクロス表データの同時布置・同時クラスタリング分析法
ここでは、1枚だけのクロス表データを、その表側アイテムと表頭アイテムを、1つの多次元空間に同時に布置し、同時にクラスタする場合を扱う。
ものごとの事象や、そのあり様ややり様等の振る舞いについて、またその意味について考える。
この領域は、多変量統計学やテキスト・マイニングや機械学習などの一番典型的問題の領域であるが、いわゆる正解が無い、教師無しデータ構造の領域でもあり、今も盛んに研究され進化しつつあるが、基本的なデータ形式である。
ここでの特徴は、従来できなかった表側アイテムと表頭アイテムを同時布置し同時クラスタする方法を説明する。その具体的な技術コンセプトは、コンセプトを1元化尺度で配列し、意味をガイドし計算する、CCチャート:Concept Compass Chart が主役を務めるだろう。

2篇は、サブジェクトを共有する複数の多連クロス表データの可視化分析法
ここでは、サブジェクトを共有する複数の多連クロス表データ(横に並んだ複数のクロス表を連と呼ぶ)を統合して、それぞれの表頭と表側アイテムを、1つの多次元空間に同時に布置し、同時にクラスタ分析するケースを扱う。
ビジネスや仕事の世界で扱う、物事やヒトや組織の作法は、”言葉”で表現され、そのパフォーマンスは、”数値”で測られ要約される。いわばの”言葉”がクイーンとすいれば、キングは”数値”である。ビジネスでは、見かけは数値のキングがプロセスのマイルストーンの達成度等のパフォーマンスを示したり要約するが、その背景は、ことばでしか説明ができない。言葉のガイドで、数値の上下や安定性の方向性が判る。両者がメインキャストを演じることになる。
また、数値と数値の関係は古くから解析学や代数学として高度に研究がされてきたが、ここでは、数値の連続性について一端その鎖を解き話して、数値のセグメント同士の相関関係だけに注目する。それは、数値が言葉と同等な形で、相関関係を議論したいからである。
言葉と言葉の関係性は、古来、神話や物語等文学の世界であった。しかし、意味は、ものごとやプロセスの関係性の特長から生まれる。インターネットでハイパーリンクが言葉に張り付いて、意味が計算できるようになってきた。
こうして、ここでは、質と量の関係、つまり、質と質、質と量、量と量の関係と、それらの意味を取り扱う。
3篇は、サブジェクトとアトリビュートを共有する多連多段クロス表の分析
ここでは、サブジェクトを共有する複数(多連)で、アトリビュートを共有する複数(多段)なクロス表を統合して、それぞれの表頭と表側アイテムを、1つの多次元空間に同時に布置し、同時にクラスタ分析するケースを扱う。
多くのビジネスでは、何らかのサービス要素の提供者と、その受容者と、その仲介者の異なった3者が登場する。それぞれが異なった価値観や機能を持ち、異なった物事の認識や所作を持っている。
ここでは、3体問題が、主題となる。3体問題は、ものごとやプロセスのダイナミズムの根源の形態である。それが、存在する真の姿であり、ダイナミックに安定したパターンである。
ここでは、2体のマッチグに、仲介する第3の項が介在する、MMマップが、主役となるであろう。

1篇から3篇までは、5章で構成する。全体が15章立てとなる計画。
4編では、特性要因図やマインドマップやネットワークダイアグラムで表現できる事象がクロス表としてマトリックスデータの形で整理できることを示す。また、そのデータから意味を採りだす事前処理法を扱う。
5編から6編では、井深大が開発を手掛けたイノベーションのプロジェクトマネジメント法であるF-CAPシステムの思想と手法やそこに含まれていなかった目的工学を概説し、そこで必要となるデータ&テキストマイニングを連環データマイニングと従来型の多変量解析、多次元データ分析の役割を俯瞰しその限界についてと扱う。またここでは、B.I:ビジネスインテリジェンスが、集合知と機械が働くA.I:アーテフィシャルインテリジェンスを概説する。
エピローグ編では、イノベーションが流れる水のような、いわばエントロピーの不変の法則とでも言うべき法則に従うような一端カオスの淵に浮かび沈んでまた浮かんで流れる泡沫のごとき風情。
創業以来、一貫してメディア環境の進化に関わってきたソニーのイノベーションに関わる半導体からディスプレイやパッケージメディア等のコア技術や、それを支えた製番管理や信頼性等のプロジェクトマニジメント等のフリンジ技術の70年のストーリをひも解いてみたい。これは、いわば集団フローチャンネル現象だったように思われる。

各章を、なるべく10,000文字以内とし、なるべく絵や表を入れてまとめたい。全体で6編各6章位とし、発行は、毎月2回以上2年以内で完成を目指したい。

ちょっと大変! フォロワーの叱咤激励を期待して、がんばってみよう!



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