序編 プロローグ
ビジネスはすべてイノベーションとなってくる


5章
イノベーションがマネジメントと出会うとき


1◇イノベーションの場で神々の3機能が動きだす


§1.1新しい世界を創った三人の神々

新しく世界を造ったり変えたりした大きなイベントは、その場で活躍したヒーローやヒロインの物語として語り継がれてきた。
それは、いろいろな民族が語り継いできた、国造りの神々の神話や、英雄帰国譚伝説のような物語である。

この章では、桃太郎伝説に沿って、イノベーションのプロセスをなぞってみたい。ただその物語りの前口上と初段としてのお勤めにお付き合いをお願いしたい。

多くの民族が大切にしてきた物語には、その語り始めには、共通する特徴がある。それもまた、イノベーションという新しい特異な現象を理解する助けとなると思われる。
例えば、イノベーションが新しい社会秩序:コスモスを作るとすれば、国造りと似ているといっても良いのではなかろうか。

ローマ帝国は、初代:主神J.ジュピター 、2代:戦神M. マース、3代:豊饒神Q.キュリナスという神話の構造を持っている。

古くBC10世紀に鉄器と戦車でカスピ海から小アジアを席巻したペルシャ系のスキタイ族は、祭司が黄金の盃を、戦士が黄金の戦斧を、生産者が黄金の鍬と軛を神宝として授けられた。これは神話学者のジョジル・デメジルの発見である。

これが日本の鏡と剣と勾玉の3種の神器と照合関係にあることを、弟子吉田敦彦が指摘した。
さらに彼は、スキタイの神々の名前がギリシャの神々と同じであり、このいわば神々の3機能構造が、ギリシャ・朝鮮・日本と同系統であることを示した。
そして師であるジョジル・ディメジルが示した”ローマ神話と北欧ゲルマン神話がインドヨーロッパ語族として同じ神話の構造をもっている”とした発見を敷衍する形となった。

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例外は中国だけとなっている。
ただ、雲南省の白族には、三道茶という民俗舞踏があり、最初は若い女性の甘いお茶、次が若い男性の確りした力強いお茶、最後に老人の深い渋いゆっくりしたお茶を振舞いうというストーリである。この地には、観音信仰があり、水の神として龍神さまを祀っていることから、神話学会でも採り挙げられる可能性がある。キリスト教のマリア信仰と観音信仰には。多くの共通点がある。


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[図5.1]


「インドユーロッパ語族は、世界観とそれに基づく思考分類の基本的枠組みとして、三機能体系で、人間社会は理想的には、祭司=主権者と、戦士との二種の職業的身分から成る支配者と、その支配に保護を受けながら職業と富の生産に従事する庶民とから成り立つと考えていた。
この三分類の原理を宇宙全体にも当てはめ、世界はそのあらゆる局面においてこの三身分に対応する力あるいは原理が不断に協働することによって維持され運行すると観念していた」

「そのほとんどの三機能体系において、天上を支配した王は第二機能たる戦士層の出身者で同じ神族であり、多数あって地上や水上を支配していた神々と天地を分けた熾烈な戦いと対立が止揚され、双方がそれぞれの専管する機能の本領を発揮し、世界のあらゆる局面を緊密に連携すし協働する現在の秩序が成立する過程を経ている」

そして、その闘いの過程も、多くの神話が似たストーリを持っている。
まず第三の機能神が、支配している領土に、外部から強い闘いの神を連れた主神が、そこに入り込んでくる。
しかし、第3機能神はその得手とする富や愛欲等の手段によって、上位機能神の中に内通者を作り出し、その力を麻痺させて圧倒的優位に立つことになる。
ただその形勢は、上位機能神の投じる魔法の威力により、瞬く間に逆転されるという経緯を辿る。と、ジョジル・デイメジルは指摘している。[以上、5.1]大林太良、吉田敦彦、剣の神・剣の英雄、法政大学出版局、1986

この闘いのプロセスは、ローマでも第3機能神であるキュリヌス神は土着のサービニ人という女族で、似た経緯をたどっている。
日本の出雲族も国々の地域の氏神で、一度は天から降りてきたアマテラスの弟のスサノオを籠絡するが、最後に大国主の次男の諏訪のタテミナカタの命は、鹿島のタテイカズチの命に敗れ、国譲りとなる経緯は、全く同じである。

これは、近年の企業や政治のコミュニケーション戦略にも使われている。
ネスカフェは、”違いの分る男”としてゴールドブレンドを、闘う男としてさんまを起用し缶コーヒのサンタマルタを、そして愛する新婚家庭でエクセラを位置づけ大きく安定したヒットを続けている。

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戦後五反田でスタートアップしたベンチャーのソニーの三機能リーダは、井深大、盛田昭夫、そして岩間和夫と続いた3人、3代の社長達だった。
「井深が考え、岩間が造り、そして盛田が売った」と言われた。
井深はソニーを作るため設立の趣意書を書いたが、次から次へとプロジェクトの開発テーマを打ち出して行った。その全ては、新しい技術を開発し、それを社会生活を豊かにするコミュニケーション・メディアであった。

テープによる録音機、無線によるトランジスタラジオ、小さなポータブルなトランジスタテレビ、世界を向うに回したトランジスタ・カラーテレビ、ビデオテープレコーダ、またデジタルカメらのマビカ、そしてポータブルビデオカメラなど等である。

盛田は、これらに社会に普及させるため、テープコーダ、ビデオコーダ、カムコータ、タイプコーダ等の商品コンセプトを開発し続け、いわば技術の社会に対する翻訳者のスポークスマンの役割を担った。
ただ、日本でもアメリカでもがっちりとした電気製品の流通体制を敷いていた問屋が新参者を相手にしてくれなかった。
それを飛ばして、直接小売店ルートを開拓した。時計屋や宝飾店で、特にデーパートのそうした売り場であった。ポケッタブルラジオやマイクロテレビは、ガラスのショウケースに収まったたし、防犯対策にもなった。何より高級感が演出された。

こうしたストーリも、まさにイノベーションのストーリである。
イノベーションは、常に、何か前からあるビジネスの領域への侵害と見なされる。
いわゆるそれが新しい領域であっても将来の自分達の既得権益への侵害と見なし、そこから、彼らは、やにわに反撃に転じる。
これは、自らの既得権益、テリトリーへの侵害と見て、自らの組織の保身のために、いわゆる”受動的攻撃性症候群”を発揮するのである。


§1.2イノベーションという流れの移り変わり

この読本では、”イノベーションは、いまこの状態と、すぐ未来にある好ましい状態とが出合う時、体験的集合知が働くプロジェクトの場で生まれる”、と考えたい。 

有時(うじ)、今、この時だけが真実である
いま、この時だけが存在する”有時”ということだけは絶対的真実であると、永平道元禅師の説く、東洋的倫理が見直されるべきかも知れない。

いや、イノベーションという現象は、中動態構文で表現するとすれば、なにか新しい常識や権威が、人びとが本来望んでいるエドモニアに向かって、何かの流れを変え、何かの新しい姿を顕現しようとしているということではなかろうか?

”自然資源”の環境から、新しい価値をかち取るべく、ゲームとして闘う活動に参加している3つの主要プレーヤは、人びとが生活する「シティズン・セグメント」と、人びとが働いて価値を生み出す「ビジネス・セグメント」と、両者のメディエイタとして機能する「マネジメント・セグメント」の各場に棲んでいるとしよう。

このように、イノベーションという現象は、あるその時の”自然資源”の環境から新しい価値をかちとるべく、手段としての”ソフト資源” 環境と相互に作用しながら、それぞれが生存共存ゲームを通じて、進化し繁茂しようとしている生態系のように思われる。

イノベーションは、バーチャルな人工的な道具である”ソフト資源” 環境を含んだ、大きなリアルで本質的に自然な”自然資源” 環境の世界の中で、「シティズン・セグメント」と「ビジネス・セグメント」、そして「マネジメント・セグメント」のプレイヤー達が、手段としての”ソフト資源” 環境を使って相互作用しつつ、進化する現象ではないか。

つまり、”自然資源” 環境と”ソフト資源” 環境の揺らぎは、全てのソサイエティのセグメントが目指すエドモニアへの新しいコスモスに向けて、何かの障壁を乗り越えようとしている流れの移り変わりなのではないだろうか。

まず、「シティズン・セグメント」が労働し消費して労働余剰を生むとすれば、「ビジネス・セグメント」は、分業し交換して市場余剰を創出する。
「マネジメント・セグメント」は、「ビジネス・セグメント」と、「シティズン・セグメント」の調整者の役割をもつだろう。

そして、「マネジメント・セグメント」は、公共的機能で労働余剰と市場余剰と公共余剰を含む、全社会総余剰としてのソーシャル・ウエルフェアーを実現する働きを持っているべきであろう。

つまるところ、イノベーションとは、”自然資源” 環境と”ソフト資源” 環境の場において、「シティズン・セグメント」と「ビジネス・セグメント」、そして「マネジメント・セグメント」の各プレイヤー達がゲームを繰り広げることで共進化している現象のように思われる。

ソフトとは、マクルーハンによる”ヒトの心身の機能を拡張した技術の形態としてのメディアと、その古いメディアの利用法までを含むコンテンツのことであるとする。
そして、”ソフト資源” 環境は、”自然資源” 環境から、新しい価値をかち取るべく3つの主要なセグメントのゲームプレイヤ達が生存共存戦略の手段としての、技術の文化遺伝子であるTech-MEME とでも言うべきものに駆動されるメディア達の棲むレイヤーである。
そこに流れる媒体は、データや情報や知識というサービス・コンテントであり、その流れの本質は、何かを創り出す心の遺伝子であるとしておきたい。
ソフト資源とは、人びとの喜怒哀楽と真善美の価値を共有する文化資源であるとしても良いかも知れない。ただ、文化資源に対し、人工的で進化が速い点が異なっている。


§1.3イノベーションにはトリレンマの壁がある

そもそも、イノベーションの最初のフェーズには、飛び越えるべき、”コロンブスの玉子のトリレンマ”と言うべき壁がある。

それは、現状のAs-Isの理解には、あるべき将来のTo-Beからのいわばバックキャスティングからでなければ見えない世界である。しかし、もしそのTo-Beに行く可能性To-Doが見えなければ、ヒトは、To-Beを見えないものとする性癖から逃れられない。
つまり、As-IsとTo-BeとTo-Doのどれが欠けても、イノベーションは起こらない。

まず、現状の理解は、意外と難しい。
寝ている玉子を”寝ている”と理解するためには、”立った玉子”をイメージできることが必要で、”立った玉子”をイメージするためには、”寝ている玉子を立てる方法”を思いつかなくてはならない。

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[図5.4]

多くの場合、ヒトはある立場に無意識に立っている。
例えばそこに外から何者かが訪れた時、それが侵略者か仲間かどうかを理解しようとして、利己的に、我が身を守るか、友人になろうかとして、そのどちらかのポジションをとり、スタンスを決め、スコープをとる。

特に近代社会においては、能動的にイメージするか受動的にイメージするか、に分れる。
利己的になるか、利他的になれるか、あるいは、共感的になれるか等に分けたい心情的傾向がある。

しかし、日本語や、インド・ペルシャ語系のサンスクリット語や、古代ギリシャ語に存在した「中動態構文でイメージする」ことで、現在、その時の情況をしっかり認識することができる。
これは、意外に西欧流のサイエンス的アプローチでは極めて困難な、直接的な認識の方法ではなかろうか。
例えば、禅宗では、座禅を含む一連の修行で、これを徹底的に体に叩き込む年間行事のカリキュラムを持っている。

◇ トリレンマを乗り越えるには幾つかの方法がある

「シティズン・セグメント」を駆動するのは、より豊かな社会を求めるゆっくりと時を待つ人々の心の動きのトレンドである。
アリストテレスのエドモニア、昨今パピネスとかウェルビーイング等と訳されているそれである。
つまり、これは、何人と言えども否定や疑問を持つことなく、否定もできない、いわば公理のようなものである。
中国で兼愛、利己を克服することで平和を説いた墨子擢の倫理観でもある。

また、もう一つは、将来を眺め、その善き将来をイメージした時、そこから現状を眺め、ようやく不足しているペインを感じる場合もある。例えば、隣りの芝生が青く見えた時、そうなりたいとビジョンを持った時などである。
これは、理想の将来から、現在へのバックキャストを行うアプローチである。

また、マズローの基本的欲求の5段階では、そうした価値観を整理している。その上に、その社会が広く長く培ってきた文化として共有する真善美の価値があるとしている。

それを社会的価値観として整理したのは、ダニエル・ヤンケロヴィッチだったように思われる。彼は、それまでマーケティングで使われていたデモグラフィックな属性のセグメントの変化ではなく、社会心理学的なソシオ・サイコグラフィック属性でクラスタリングし、その社会的価値観の遷移トレンドを調査研究した。
そして、アメリカ人の価値観がベトナム戦争で、ピューリタンの価値観が崩壊したと宣言した。

ハードワークやアメリカンドリーム等家族主義とその象徴としての自動車やホームアプライアンス価値観の衰退で、彼がミー・イズムと捉えたある意味での個人の自由としての民主化が進んだと指摘した。
そして、日本の家電や自動車のコンパクトネスや高信頼性がその成功のキーファクタであったことを、見事に説明して見せた。

こうした現実を理解するには、そのフィールドに入り込んで、関与しながらデータを採る必要があり、その社会の生の声を聴くには、言葉によるデータ、それも生活環境の文脈属性を持った文字の記録データが必要である。

それらは、文化人類学が採ってきた各種の研究法のアプローチ、例えばエスノグラフィー等、社会的行動事象の関与観察型データのクラスタリング等である。
フィールドから、有徴現象をピックアップして、シナリオライティンングやシナリオプランニング等も行われる。

◇ ヒトは、自然の力に直面し、現実を素直に見つめ直す

ギリシャ神話では、「死すべき宿命を持った人間」、という枕言葉が、「永遠の命を授かった神」に対比して語られる。

最近、起こった例えば、新型コロナのようなパンデミックな事態に直面し、冷徹な死という事実に直面した時、ヒトは、素直になる。

ペストが、訪れたとき、ローマ教皇を頂点とするキリスト教の社会の秩序か揺るがされた。
そのすこし前にペルシャやギリシャの哲学や科学がラテン語に翻訳され、新しい科学的世界観が説得力を持った。
そして、まさに天地が逆転し、コペルニクスやガリレオの世界観が受け入れられた。そして、ルネッサンスが実現し、産業革命に繋がった。
そこで、神に変わって科学はゆるぎない位置を占めるに至った。

9.11では、企業の強欲さが露呈し、エンタープライズの権威が揺らいだ。
人びとが預けた中産階級の年金を預かったファンドが投資した損保等の資産が、1日で2棟のビルの崩落と同時にリアルタイムで刻々と崩落した。

それをリアルタイムで伝えるCNNの画像にスーパの株価の数値が被さって流れた。それは、くるくると刻々と下落し、あっと言う間に$10,000を割りこみ、$9,000、$8,000、$7.000とくるくるとめまぐるしく落ち込んで行った。
しかしようやく$6,000を割り込みアメリカという近代国家が崩壊する直前で止まった。多分政府がようやく介入できたのであろう。

そこで市民にやってきたのは、企業が隠していたリスクが、自分達の我が身の将来を預けていた年金を食いつぶしたという事実であった。
企業は、大切な市民のファンドをリスクの担保に稼いでいたことを白日の下にさらされ愕然とした。その怒りは、企業や何より企業のエージェント達に向かった。

さらに「シティズン・セグメント」の怒りは、「ビジネス・セグメント」に向かい、さらに「マネジメント・セグメント」のトップレイヤである大統領にまで向かったのである。

SOX法を始め多くのルールが造られ、エンタープライズの行動を厳しく制限し、最大のリスクファクタの開示が求められ、クレジットをレバレッジする増幅機能だけであった資本市場に、リスクの増幅機能がエクスプリシットな形で組み込まれた。
その後のサブプライムローンに端を発したリーマンショックも、同根であった。

企業のビジネス・エージェントである経営者は、マネジメントのエージェントである大統領に対し、「私は、コンプライアンスを守り、悪いことはしません」という誓約書を書かされることにまでなった。

自然人が死すべき運命を持ち、同じ所有権を持つことができるゴーイングコンサーンを使命としている企業が、同じ土俵でゲームを競う資本主義の現実に疑問符が灯った瞬間であった。
資本市場には、バブルがはじける度に、中産階級は、その富の蓄積を、各セグメントのエージェント達に巻き上げられる仕組みであることが判ってきた。

3.11では、”科学の権威”が崩落した。
ヒトの心と切り離された冷徹な科学がその名の下に暴走して、人びとは、見えない敵から逃げ惑った。

現在でも、毎日120トン以上のトリチュームやストロンチューㇺを含む汚染水が、量産され続けて、地上を汚している。
これは、20万年以上保管しつけ、日本人の債務を増やし続ける仕組みとして発現している現実である。

これこそ、近代国家が、「マネジメント・セグメント」のトップレイヤが向き合うべき現実の一つであろう。

今回の新型コロナのパンデミックは、現在のどの様な”常識や権威”に挑戦しそれを崩壊させるのだろうか?
紺野登は、現代の”エンタープライズ・ステイト”とでも呼ばれる時代自体が挑戦を受けているのではないか、としている。

また、変化を常態とする事物に対し、永遠の真理を旨とするが故の科学の権威も、その脆弱性に対する挑戦を受けているように思われる。神も科学も頼りにならないことを知ることになった。

シュンペータは、「イノベーションは、内部から起こるものと定義しているが、内部矛盾は、外部の環境情況の変化による適応過程と捉えることも大切であるように思われる。

これは、ある意味で「マネジメント・セグメント」に対する挑戦でもあり、また、新しく現れつつあるコスモスへのイノベーションのチャンスでもある。


2◇場にイノベーション・プロジェクトの座が建つとき


§2.1 イノベーションはプロジェクトでのみ出現する

イノベーションは、ある対象の状態がより好ましい状態へと遷移するプロセスにおける知識創造活動とも定義できよう。

つまり、イノベーションは、現在の状態の中から生まれ、より進化した新しい状態に到達し、現状の外へと変遷して終わる。
これは、時間的に過去からあるいは未来から、そして現状の内と外をまたぐパースペクティブからでしか捉えられない。

つまり、現状の中から進化し、外の新しい未来の遷移すべき状態とが出会える場の中でのみ実現する。従って、イノベーションは、既存の組織の中からではなく、外と組んだプロジェクトからでしか生まれない。

ビジネス・セグメントが、自ら単独でイノベーションを起こすには、多くの抵抗やジィレンマがある。
それは、ビジネス・セグメントが持っている、自己存続を目的とする多くの組織とは根本的に対立する性質を持っているからである。

イノベーション型プロジェクトに対し、母体となる組織では異物を排除する免疫作用が働き、母体を守る悪阻のような症状を発現する。イノベーションには、恒常的組織とは相容れないドラスティックでディスラプティブな性質があるからである。
それが、頑健で強い恵まれた組織体からは、イノベーションが生まれ難い最大の理由の一つである。

つまり、既存の組織は、自己を守る本能的持続性を志向する生理があり、変質を志向するしかも有期限のプロジェクトとは根本的に相いれない性質を持っている。こうしたいわば組織の生理学を、ミュラータイムは研究し指摘している。

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[図5.5]

組織は、既存の従事者によって、既存の資源を使って、既存の顧客に、既存の成果を、既存の評価尺度を改善する活動に従事する傾向を持っている。

それがたとえビジネス・セグメントのトップ・マネジメントの提言の場合でも、一組の仲間の生活を守る責任ある事業部長や営業部長のようなトップ・オブ・ザ・ラインは、仲間や部下やその家庭を守ろうとする。目の前にいる顧客やルールを守ろうとする。

これは、組織の生理学的ディレンマで、こうしたいわば既存の生態系への変化は、受動的攻撃性症候群とでも言うべき反応を発現する。
また、国や行政機関や法律等の専門スタップは、あたかもその代理人としての立場から、既得権益を守るため、その権威を示すため、リスクを評価し、主張しさえする。

とはいえ、組織には、時代にあった価値を創造するために、既存の技術や既存のルールや既存の評価尺度をブレークスルーする必要がある。
いわば、強くなければ活きて行けないが、対応できなければ、生きて行く資格がないからである。

これは、組織や企業などの「ビジネス・セグメント」としての、本来の役割が、”自然資源” 環境に対し”ソフト環境” 資源を使って、相互作用し、新しい価値を獲得することを意味する。


また、組織が存在し成長するためには、多くのプロジェクトに関わらない限り、ヒトも技術も、組織体も育つことはできないからでもある。

このため、イノベーションは、自分自身に有限期間の寿命を定めるプロジェクトでしか起こし得ない理由の一つがある。
プロジェクトは、現存する組織とは異なった形態として新しい達成目標に向かって新しく組織され、それを達成することで、終了する。

その最初のプロジェクティング・フェーズは、イノベーションのプロジェクトのテーマと可能性の探索フェーズである。

◇リニアモデルからはイノベーションは生まれない

イノベーションは、ターゲット・ドリブンモデルからしか生まれない。リニアモデルからは、イノベーションは生まれない

大企業は、中央研究所などで基礎研究と称するいわゆる科学研究をしている場合がある。しかし、基礎研究を幾らやってもイノベーションには、ほとんど結びつかない。

国としても、第5期科学技術基本計画で、16年度からの5年間に計26兆円の科学技術関係予算を投じる目標で、既に第4期までで100兆円を投下してきた。見るべきものは、iPS細胞など、医学以外での成果は、限定的の様である。

これらはいわゆるリニア型モデルで、基礎研究がイノベーションには欠かせないという神話であるように思われる。歴史が示す、絶対に必要なのは、ターゲットドリブン型モデルである。
医学関係で成果があるのは、ほとんどがターゲットドリブン型であり、シティズン・ソサエティのニーズが明確であるからである。

しかし、科学は目的をもたない。想いも育ててこない。
科学は、ひとの心と自然の法則を切り離すことで、ある種の純粋さ、ピューリティを研ぎ澄まそうとさえしてきた。

基礎科学重視のリニアモデルからイノベーションは生まれないとしたが、例外は、原子力と遺伝子組換え作物である。

遺伝子組換え作物は、遺伝子交配と異なり、40億年間の生物の歴史の実証的検証を無視した科学論の帰結である。
病気にならない、虫が食べない、食物が一面に広がったとき、「沈黙の森」ならぬ、花の咲かない「色のない世界」が広がる可能性がある。ミツバチが居なくなった世界で、人びとは食べるものが無く、虫と共に飢える。科学的フィクションの科学性の欠如。

エンジニアは、無からある形を造る。デザイナーも思いを造形する。形には無限に近い自由度があり、いわば不定解の世界である。それゆえに、目的を必要とし、倫理観が前提となる。

ワットが蒸気機関を発明し、熱力学が生まれ、ライト兄弟が飛行機を飛ばして、エアロダイナミックスが生まれ、ソニーがトランジスタでラジオを鳴らし、ソリッドステートサイエンスが盛んになった。これらの順序は決して逆ではなかった。

では、企業やビジネス・セグメントでイノベーションはどのような部署から生まれるのであろうか?
それは、ビジネスドメインの周縁からであろう。
例えば、事業部に近い開発部や準備室やその周辺のセミナー等の集合知メカニズムが働くプロジェクトであろう。

ビジネスドメインでは、周辺の知見がある。単一のアイデアや単発の思いつきでは、実現できない。野生の桜や柳は、その種は、その親たちが生きてきた環境に近い相関が高い諸条件が揃った場所で、その実を落とし、芽を出させる。
タンポポも風でそう遠くには飛んでゆけない。
それは、自然環境リテラシーとソフト環境リテラシーの重要性から来ている。


§2.2プロジェクトではマネジメント技術が生まれる

イノベーションの本質は、生物の進化のメカニズムと同じく、差異化、枝分かれ、つまり多様性であり、適応性であり、拡張性である。
成長性やグローバル化は、その表れの1に過ぎない。特に差異化、枝分かれ、つまり多様性は、ディスラプティブと言われる現象である。

手抜きしたマネジメントは得てして、KPIに取り込まれる。売上や利益等の数値シンドロームである。KPIもまたマネジメントの1手段に過ぎない。

なぜ、企業が社会に存在するか?した方が良いか?
マネジメントが、働く余剰資源を集め、労働余剰価値を高め、成果の市場で余剰価値を高めるマーケット・メカニズムを活用し、これらの社会余剰を最大化する機能も採って、方針としてのKPI群は、その目的に合致しているであろうか?

いわゆる”科学的マネジメント”と言うシンドロームが流行った時季がある。その典型が、PDCAである。

1910年に動作時間研究で作業の標準時間が測定され、労働が”科学的”に1/10万時間単位で測定できることになった。Q:クオリテリティ・コントロール、C:コスト・コントロールそしてD:デリバリー・コントロールが、科学的管理法として誕生した。

科学的に計画し、実行し、測定し、評価する、である。デミングが師匠のシューハートのPDCにAを勝手に挿入したことで、シューハートはデミングを破門しようとした。二人の間に入った坂元平八は、”このAの意味は、イノベ―ションである”と説いて、世にそれが出た。

しかし、シューハートの懸念は、やがて日本で、その通りになった。

目的は何時も正しいとは限らない。ヒトの集団が効果的に活動する場合、常に正しい評価尺度は、存在し得ない。
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目的は、組織のメンバーが造るべきものである。つまり目的は、神や科学が造るものではなく、あるマネジメントが関係者全員の納得でき、協力したいものであるのが望ましい。

それが、QCがQM:マネジメントに、CCがCMに、DCがDMになった理由である。
科学的な追従システム、これは目標がミサイルのようにダイナミックに動く動的なターゲットであれ、その目的を誰が如何に決めるのか、KPIシンドロームのワナに気を付けなくてはならない。いわゆる自動運転のマネジメントは、ノーバート・ウイーナのサイバネテイックスが、組織でも”科学的だと思いたがる”、手抜きマネジメントのリスクである。

◇ ソニーの井深大が開発したF-CAPシステム

ソニーの創業者だった井深大は、イノベーション型プロジェクト・マネジメントの方法論を、ソニーでユニークな世界初の半導体カラーテレビの開発プロジェクトの場で、製品開発と同期しつつ開発を目指した。

それは、イノベーションにも、マネジメントの技術が必要であるということであった。これを彼らしい諧謔的な表現で”プロジェクトには説得工学が必要”と表現した。

後に井深は、アポロや新幹線等の成功したプロジェクトのマネジメントを研究し、共通する思想や方法を確認し、1970年の世界第1回イノベーション会議で発表した。
それをイノベーション型プロジェクトのマネジメントの方法論として、F-CAP System (Flexible Control and Planning, Programing, Prospecting System )と命名した。

その技術思想は、プロジェクトをフレキシブルにコントロールし進化させ続けることを可能にするため、プロジェクトに関わるメンバーが、自由闊達にして愉快に働くことを可能にすること。
それは、最近注目されているティール組織〔6〕が目指す方向とも一致している:
1)参加者が自律したリーダシップを発揮する
2)常に理想的な達成目標を目指す
3)状況に応じフレキシブルに対応する。

イノベーションによって生み出された新製品や新サービスは、社会に出て適応し繁殖する、丁度生物学の進化のメカニズムの、Emerging、 Differentiating、Adapting、 およびRadiatingと照合する.

その方法の基本は、3機能を分離し、統合することで、プロジェクトを常に理想形を追求できるようにフレキシブルにコントロールすることを可能にするという思想を持った、マネジメント技術の方法論である:
1)プランニング
2)プログラミング&オペレーション
3)プロスペクティング
イノベーション型プロジェクトとしてのF-CAPシステムは、これを整理するために幾つかの研究が成されたきた〔1〕~〔5〕。

しかし、F-CAPシステムには、イノベーション型プロジェクトのための達成目標を如何にデザインするかという方法論は含まれていなかった。
また、イノベーションの成功を如何に新しい時代に向けてキャピタライズするかという方法論も欠けていた。これらについては、次章以降で触れたい。


§2.3 イノベーションは5のフェーズを巡る旅である


◇イノベーションは5段階の英雄帰国譚の物語り

イノベーションは、各民族が愛した英雄帰郷譚伝説の旅に似ている。
日本には桃太郎がある。桃太郎伝説では、話が順調に展開し、順調に成功して帰還する予定調和となっているが、多くの場合、その帰還のステップがむしろ波乱万乗なのである。

神話は、ほぼDC600年ごろに記録されたものが多いが、その発祥は、ギリシャやペルシャやローマ等のように古い年代からの口伝が含まれている。
ギリシャには、ホメロスのイリアスとオデッセイヤがある。
神話が無いと言われる中国でも、インドから仏典を持ち帰った孫悟空のサル、豚、河童を、お供にした三蔵法師伝がある。

イノベーションのストーリもまた同様である。このフルストーリを語るとすれば、5段階にフェーズを設定するのが判り易い。
1)プロジェクティング・フェーズ
2)プランニング・フェーズ
3)プログラミング・フェーズ
4)ペネトレーティング・フェーズ
5)プロスペクティング・フェーズ

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[図5.8] 桃太郎伝説とイノベーションの5段階

フーズ1:”志を立て目標に思い立つ”から”チーム編成する”を目指す、「プロジェクティング・フェーズ」である。

桃太郎を育てた、お爺さんとお婆さんがコアメンバーとなる。お爺さんがパトロンとして、蔵の中から埃を被っていた鎧や兜や太刀を探しだして用意し、お婆さんが、日本一と書かれた幟旗指物を用意する。そしてそこは最後に帰ってくるべき場所でもある。
”空(0)を確認する”活動を行う。
”空(0)”とは、可能性がある、いわば今は空いている場所であるが、そこは”無が有”となり得るコンセプトが出現しうる場所のことで、その目的とすべきイノベーションのコンセプトの探索活動となる。
インドとアラビア人は”0”を発見したが、”0”には位取りの意味もあるし、無いという意味もあるが、この空とは位取りの”0”であって、やがて”有”が現れるべき姿を示している”無”ではない場所としている。
おばさんの心のこもった日本一の吉備団子は、見通しが効くキジと、智慧のあるサルと、力のあるイヌでチームを結成する約束の支えになる。
ただ、隠された資源としてのコア・テクノロジやコア・コンセプトの発見が必要である。
ここはいわば、志しとコンフィデンスを共有して隠された資産を活かすミッションを持った仲間が”カンパニー”を形成するフェーズである。

フェーズ2:”0⇒1とし、コンフィデンスを共有する”カンパニー”結成から目的地である”鬼の城に辿り着く”までのアプローチおよび戦略の実現性を確認する「プランニング・フェーズ」である。

眼前に横たわる河や海を、力のあるイヌが桃太郎を背負い、キジがサルを載せて運んで、城に辿り着くまでの活動となる。
ここでは、技術のコア・コンセプトの原理確認の実証性が示される。ビジョンとしてのサクセスストーリが語られ、利益の最大を狙いつつ最大のリスクを読んでそれに備えたプランを作る必要がある。
いわば最低のロジステックを支えてくれるお婆さんの吉備団子が路銀となれば良い。
ここは、いわば”コイン”でコア・チーム動きだし進展を開始するフェーズである。

フェーズ3:”1⇒10とし、現地でオペレーションを開始し、目的の城を攻め落とすまでの「プログラミング”・フェーズ」である。

キジが空から敵の情勢を見て鬼の目を突き、サルが城壁をよじ登って裏から城門を明け、勇気のあるイヌが飛び込んで鬼の脛に齧りつき、桃太郎が鬼を征伐する。
プロジェクトが進展し、いくつかの難問のブレークスルーで突破でき、プロトタイプが繰り返され、ハードを造る工程、ソフトを働かせるプラットフォーム構築など、スケール・アップの準備が整えられる。
ここは、いわば”キャッシュ”フェーズで、キャッシュが入る可能性を実証する開発段階を終了し、融資やベンチャーキャピタルからの投資が入ってくるまでの重要なフェーズである。

フェーズ4:”10⇒50となる城を攻め落としてから財宝を手にする”までを目指す”ペネトレーティング・フェーズ”である。

コア技術を周辺技術で仕上げ、用途を開発し、プロダクツやサービスを届けるプラット・フォームをオペレーションし、ジネスを広げる。
ここは、いわばキャッシュがクレジットに変わる”クレジット”フェーズで、株式上場等が視野に入ってくる。

フェーズ5:”50⇒100となる財宝を確保しこれを持ち帰って村びとに配分する”までを目指す”プロスペクティング・フェーズ”である。

いよいよ、金銀財宝をゲットし、鬼どもも降参させて連れ帰り、金銀財宝を村びと達に配る。
連れ帰った鬼達は、実は技術を持った外国人で、新しい価値を生み出すことになる。蓄積された富は、継続して新しい価値を生み出す展望が拓かれる。
ここは、いわば、ビジネスの成長が安定して継続するフェーズで、IPO等の出口に辿り着く”キャピタル”フェーズである。

ここは、それまでの投入された全てのキャッシュが、回収され、その総余剰が分配され、いわば”コンバージェンス”される出口のフェーズとなる。
つまりホームインで、ゲームオーバとなり、プロジェクトが次に向かって解散される最後のフェーズである。
実は、この出口戦略が、最も困難なフェーズともなり、多くの英雄帰国譚伝説は、ここに集中しているものが多い。

◇C5'sコンバージェンス・サイクル・マネジメントと難関ステップ

ここまで述べた5段階のイノベーション・フェーズのC5's:
Ph.1.カンパニー
Ph.2.コイン 
Ph.3.キャッシュ
Ph.4.クレジット
Ph.5.キャピタル >コンバージェンス
これは、ソニーの五代目の社長の出井伸之が考えた、いわばプロジェクト・ファイナンスを一般化したプロジェクト・マネジメント論の指標であるように思われる。

出井伸之がこの”5C’sコンバージェンス評価法”に拘ったのは、ソニーの多様なビジネス領域を、マネジメントする上で、単にP/LやB/Sだけの過去のデータで評価するのではなく、未来に向かってどのような姿で収束するかまでの姿を描き、マネジメントすべきと考えたからという。

例えば、新しい映画は、いわばそれ自体が全く新しいイノベーション・プロジェクトである。
リスクは高いが、物語りに共感する人々からのコインのようなクラウドファウンディングも集まるかも知れない。誰か優れたプロジューサか監督が名乗りを上げるかも知れない。時には、有名な俳優自身がデレクターとして名乗りを挙げるかも知れない。
こうして、コア・シナリオを探して動き出すと、フェーズは1から2、さらに3へと進み始める。これを証券会社が目を着けスポンサーに売りこみ始めると、さらに進展し制作が進むと、タイムウインドウ・マネジメントがデザインされ、一気にコンバージェンスまでのビジネスモデルが完成する。

半導体等の設備インテンシブなプロセス型の製造部門では、キャッシュ・コンバージェンスサイクルは長くなるが、シェアーを押さえた場合は、B2Bの強味が出てくる。例えば、各PCメーカや携帯デバイスベンダーは、こぞって中期調達計画の内示を採りに来る。
それらは、各デバイスカテゴリの最も先端の戦略を明かす情報であり、将来の調達という言わば負の在庫の計画である。こうした設備投資用の資金は、眼に見えるハードの資産を担保にもでき、映画等の水ものに比べ、資金コストは極めて低くなる。

通常、ハードの事業部門のマネジメントは、売上と利益の期間ごとのP/Lの数値だけの責任が持たされている。
事業部長になると、資産のバランス管理としてのB/Sの数字が責任を持たされることになっている。
しかし実際には、資金調達の資金構成の権限は、通常本社のCFOが握っていて、事業部は実際は、B/Sを任されていない。
一方企業価値は、こうした減価償却等や在庫等の計算を一定の前提に基づいて計算される利益は、フィクションと見なされ評価されていない。
実態はいわゆるEBITDAと言われるキャッシュフローと市場の成長する業界ごとの倍率で決定され、企業は評価され売買されている現実がある。

こうして、多様なビジネスモデルを持つ事業を市場が評価する客観的価値でマネジメントするには、映画であれ、タイム・ウインドウマ・ネジメントが逆の方向に流れる音楽であれ、ウオークマンのような組立て産業であれ、半導体のような設備産業であれ、全て独立したカンパニーとして資金コストを含めたイノベーション・プロジェクトが完結するまでの統合マネジメント法を開発したかったからであろう。

過去形とするのは、未だこれを統合するいわば連邦企業の運営法が、未完の開発実験段階であるからである。
何よりそうした方法論らしきものが出来上がり始めると、その目的や思想・哲学から離れ、形式的な方法論が、マネジメントの安易な脳味噌の経済の法則に導かれ、手抜きするスタッフは忖度し、権威づけの道具となり下がる傾向がある。
井深は、そうした既に社会的に確立した権威を、工夫もせず持ち込もうとする社内官僚に、終生警戒を隠さなかった。出井のEVAの実験は、そのような道筋をたどったのではないかと推察する。

資本主義のシンボルは、まさに資本市場である。そこでは冷徹に、ビジネス・セグメントのメインプレーヤーである企業にプライスが付けられ、売買されている。
GDPは、済活動のうち、物質やエネルギー等の数えることができ、投入して算出できるその余剰とするものだけをルールに基づいて数えた仮想の数値に過ぎない。

しかしそれらの企業の値付けは、リアルタイムで、それもビジネスユニットごとに分解し、他の企業のそれらと組み合わせリストラクチャリングしたとき得られるキャッシュフローのコンバージェンス・サイクルで評価されているリアル・ファクトに基づいている。
日本の企業や経済紙が重視しがちな対自家資本利益率などは、それらを構成する表面的な1要素に過ぎない。

日本で企業の決算報告書に、P/LとB/Sの他に統合報告書が取り入れられてから、すでに10年が経つ。
社会余剰を未来に向かって投資をするべき企業が、投資市場にたいし、過去のデータしか開示してこなかったことを、9.11からの反省でリスクの開示と共に、未来への活動と展望や意欲を開示する目的から始まった。

しかし、次第に、形式的で官僚的なレポーティングになり始めているように見受けられる。その根底には、技術の展望と価値に関するトップマネジメントの理解不足がある。
ただ、ドラッカーは、技術の価値の評価法は、2005年までにはできるようになるだろうと予言していたが、まだできていない。

特に、日本では、特許法とその実施制度が立ち遅れている。そのため、ICTやAI関係の日本特許は、市場では1$でも評価されないという現実のその理由でもある。
イノベーションの果実を、獲得する上で、この現状も改革が是非必要である。



3◇イノベーションには序・破・急の旅の急所がある


すでに述べたように井深大は、イノベーションのマネジメント技術としてF-CAPシステムの開発を目指したが、そこに不足していたのは、最初のプロジェクトを発足するプロジェクティング・フェーズとプロスペクティング・フェーズとペネトレーティング・フェーズとコンバージェンス・フェーズであった。
ここでは、この3つのフェーズを簡単に採り挙げて説明する。

§3.1 序 スタート・アップ

ここでは、イノベーション・プロセスの5のフェーズの内、プロジェクトのスタートアップのフェーズである、プロジェクティング・フェーズを採り上げる。

イノベーションは、「天の時、地の利、人の和」で始まる。
とはいえ、いきなり、空から有が出現する訳ではなく、そうした情況が生まれる環境が必要である。ではその順番はどうであろうか?

やはり、神代の時代から、それは、ヒトの和ではなかろうか?昔、資金や蓄えが無い時代には、講や無尽があった。これは、志を同じくする者が何かの因縁でナットワークを造り、銭を積み立てるのである。
そして、例えばお伊勢講であれば、かわるがわるでそれを使いお伊勢詣でのイベントを愉しむ旅に出る。
それは、観音講であれば、月に1度集まって、観音様に手を合わせ観音経を唱えて、茶話会でおしゃべりをし、籤を引いてイベントを愉しむ場でもある。

もし俳句の句会であれば、信州伊那谷を農閑期に訪れる江戸くんだりからの師匠を点者に据え、月見、雪見やカジカ啼き等で座を建てる。
見事な座が建ち、首席を採った者には筆や時に硯、次席や3枚目は、有名な師匠の色紙を頂戴する。
こうして粗末な一献の座が続き、座元の施主は、数日の宿泊と接待、それに志を集めて何がしかのお布施を包む。
場合によると、江戸で句集が編まれ、そこに採り挙げられる果報者もでる。見事な庶民参加型の文化ビジネスモデルである。

昔話に花咲か爺さんの話しがある。老夫婦と犬が仲良く暮らしていた。
”裏の畑でポチがなく、正直爺さん掘ったれば、大判小判がザックザック、、”である。この寓話には、汲み採るべき智慧がある。
なぜ、畑は表でななく、裏なのか? なぜ喋れないポチなのか?

ソニーの創業者の井深が書いた設立の趣意書の目的の第1番には、「自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」としている。
そこでは、「技術者たちが技術することに深い喜びを感じ、その社会的使命を自覚して思いきり働ける安定した職場をこしらえるのが第一の目的である」として20名が集まった。

まさに、今の言葉で言えば、”価値を共有する仲間”、つまり”講”であろう。講が続いていると、ある時、イノベーションの芽が出るのではなかろうか?”裏の畑でポチが啼く”のである。

この講には、学派の意味もある。ソクラテス学派には、プラトンやアリストテレスや名将軍のクセノボン等がある。また釈迦やキリストや孔子等も大きな学派を形成したと考えられる。

◆ナイチンゲールの層別概念と応用統計学

イノベーションでは、コロンブスやナイチンゲール等の偉業が挙げられる。
ナイチンゲールをパトロネージしたのはヴィクトリア女王であった。コロンブスのパトロネージも、イザベル1世の女王で、ともにお爺さんではなく、女性であった。
この2人のイノベーションから社会が受けた豊かさをの恩恵は、計りしれない。

ナイチンゲールは、層別の概念でまさにエビデンスベース・マネジメント(EBM)の元になる応用統計学の母となったが、この施策がパスツールによる細菌の発見やペスト菌の発見等のパンデミック現象への対処法が実現できたのである。
コロンブスが新大陸から持ち帰ったものは、トマトやじゃが芋やトウモロコシなど、現在の西洋の主要な食材ばかりでなく、現在の世界もその恩恵を受けている。

ナイチンゲールは、ペスト菌を見つけようとして、トルコの戦場に赴いた訳ではない。コロンブスも美味しいイタリヤ料理やドイツ人の好きなジャーマンポテトを発見するために船出したわけではくまた新大陸を発見しようとしたわけですらなかった。
おばば様方の支援を受けて、旅に出て大きなイノベーションに繋げたのである。

◆オリンパスの内視鏡

オリンパスの内視鏡は、開発した深海は、東大の宇治達郎が”胃の中を見たい”という願いを実現したいと、試作に試作を重ねた孤独の努力を重ねた。

オリンパス研究所の主任技師・杉野睦夫の元に諏訪の岡谷工場から転勤してきた、深海正治を自分の助手にしに宇治先生を引き合せ、表向きは「フラッシュの研究」という基礎研究の名目の元、内々、胃カメラの開発に専念させた。
深海は、東大病院を毎日のように研究室を訪ねて、「先生の言葉を何としても理解しよう」としたと語っている。

犬では上手く行ったが、ヒトでは胃壁にカメラが着き当って失敗の壁に着き当り行き詰まった。また犬を相手に逆戻りした実験で当方にくれたある夕方、犬のお腹に入れた内視鏡のランプの「ポッ」と明るく光った。それがカメラの位置制御の方式の開発に繋がったのである。

まさに、杉浦が目指していた位相差顕微鏡プロジェクトから少しズレた場での深海と宇治の出会いがあったのである。杉浦は、”正直爺さん”のパトロンであった。

◆シャープの液晶

シャープの液晶では、パトロンの親プロジェクトは、電卓であった。ソニーのマイクロテレビを追いかけるため旗揚げしたシャープの液晶部隊は、苦労を重ねていた。そしてソニーやカシオの電卓と争っていたシャープのプロジェクトに救いを求めたのである。その採用が決まったときは嬉しかったと船田文明は語っている。

そこで、少し息を継いだ液晶部隊は、最初の目標であった「映像を写すことができる液晶」に再度挑戦に復帰したのである。

電卓のような2値の画像ではなく、最初からの駆動目標をあきらめなかった結果が、他社との差を大きくつけたのである。品質のリフファレンスモデルこそ、ソニーの扁平型ブラウン管であったと思われる。

◆ソニーのビジネス領域

ソニーは、イノベーションを重ね、オーデオからビデオへ、そして、音楽産業から映画産へ、さらに金融産業へと、ビジネスドメインの多様化を進めた。
いわば、ビジネスドメインの枝分けや、株分けである。

イノベーションの本質は、差異化である。”リサーチ・メイク・ザ・デファレンス”は、井深が遺したソニーのイノベーションの遺伝子の神髄である。

2代目の盛田昭夫は、”グロバル・ローカリゼーション”と、”急成長するソニー”でブランドを構築した。

3代目の岩間は、”ハイ・テクノロジー”と”ハイ・リライアビリティ”を掲げ、世界の半導体をリードしたが志し半端で病に倒れた。

4代目の大賀は、テクノロジーとヒトの心の接点である意匠デザインに注力し、若者向けのリビングラボでプロトタイプを検証し、マーチャンダイザでソニーブランドを育てた。

CDのデジタル変換方式は、非線形解析の数名の自主ゼミから生まれ、パトロンの中島平太郎にピックアップされた。
3.5インチフロピーデスクは自己記録の中山正行とメカの佐藤隆三がプロトタイプを開発してやがて、アップルのスチーブ・ジョブスのMACを成功に繋げたのであった。

◆ソニーのトリニトロン

トリニトロンは、その前に手掛けていたクロマトロンの開発の残り部隊だったので、そこそこの規模ではあっが、トリニトロンでは、ブラウン管の開発は20人位で回路セットの開発を入れても、50人位であった。
ただ、当時のソニーの売上規模は、400億円位で、試作研究費の20%以上を単独の見通しの効かない”色の途に迷い込んだ井深さん”にお付き合いはし兼ねるという社内の重役達のほぼ全員からの反発があった。

それは、世界中の企業がRCAのシャドウマスクのデファクトスタンダードにひれ伏していたからであった。日本でも大企業を通産省が協働開発プロジェクトでそれに追従し、わずかソビエトと五反田のベンチャーだけが、それに挑戦しようとしたのである。

ナイチンゲールも、コロンブスもそれなりのクルーを組んでいたが、オリンパスの内視鏡の深海にしても2名で、シャープの液晶の船田文明にしても数名で、当初はそれほど大きな規模では無かった。

ただ、成功に至るまで、細々とでも、進展がある限り続けていれば、ある時、突然変異が現れ、視界が開けることもある。

◇ 成功するイノベーション型プロジェクトの必要条件

井深は、トリニトロン計画が終わったとき、成功するイノベーション型プロジェクトの必要条件の仮説の実証研究にこだわった。
それは、「成功するプロジェクトの要点の1つとして、プロジェクトのテーマが、”ただ一つの明快で、スジが良く、強い目標をもつこと”ということであった。
井深は、プロジェクトを通して苦労をした経験から、”これは説得工学が必要だ”としたことの解の一つでもあった。

ただ、エディソンや、井深大や、スチーブ・ジョブスのような天才の頭から、突然提示されたテーマが多い。
しかし、F-CAPシステムでは、こうしたテーマやコンセプトを設定したりデザインする技術やイノベーションの達成目標の構成法やその要件等の開発は成されてこなかった。

前者は、最近目的工学として、紺野登が研究を進めている〔7〕。
このフェーズの主役は、プロジェクト・オーナである.トリニトロン計画では社長の井深大であった.
その主な役割は、駆動目標を掲げることと、場を決め、主要なスッタフ特にプロジェクト・マネージャを説得すること。そして資源を確保するチームの編成とスケジュールの大枠で、いわばプロジューサである

◇講を結んで場を拓く

「自由闊達にして愉快なる工場」とは、井深が立ち上げソニーの仲間が共有した場の設定の信条であった.
講は、日本の古来からの仲間づくりの約束事であり、地域や性別や地位等に依るものもあるが、それらとは全く自由な趣味や遊びや仕事の場合もある.
そこで共有された価値観は、議論をする必要が無い.そして、参加者がモノゴトの組織的実践知を発揮し、集合知メカニズムを発揮するための多様性、独立性、分散性を獲得することになる.

◇実行責任者を説得

実行責任者はプロジェクト・マネージャで、その任務は、映画制作で言ってみれば監督である.スタッフィングとそのマネジメント、演出と時にシナリオライティングさえ果たす.そして何より、その出来栄え、品質に責任を負うことである.プロジェクトの全体を管理し、参加者のモチベーションとその役割を全うさせ、参加者の活躍の責任を引き受ける立場となる.プロジェクトというビジネスの責任を負うプロヂューサの最大の任務は、そうした運命を共にし実務的役割を引き受け果たしてくれるプロジェクト・マネージャを見つけ、説得することである.

トリニトロンでは、吉田進部長(当時)がそうであって、井深は命がけで説得したと回顧している.マッキントッシュ計画では、スチーブジョブスは自分で、自らを実行責任者として、説得したように思われるが如何であろうか.

◇ソフトアライアンス

M&Aやケイレツ等の金銭的に結びついたハードアライアンスは、金の制約に縛られる.目的を共有できれば、資金を投入しなくても、参加者が持っている潜在的資源や参加者の自らの積極的な投資にも期待できる.
トリニトロンでは、ブラウン管のガラス成型や色選別機構等に日本政府の育成プロジェクトに取り残された企業群からの積極的な協力が得られた.
これは、トランジスタラジオの時も、日本の抵抗器やコイルや抵抗器等の電気部品ベンチャーの多くが世界的な企業に成長するチャンスを選んで成果につながっていった.
ソニーは、ソフトアライアンス戦略をとってきたと言える。ソフトアライアンスは、出井伸之の命名であるが、その本質的な現象やビジネス・セグメントの合理性メカニズムの研究が必要である。

§3.2 破 スケール・アップ

F-CAPシステムでは、こうしたテーマやコンセプトを設定したりデザインする技術やイノベーションの達成目標の構成法やその要件等の開発は成されてこなかった。
また、イノベーションのペネトレーション技術もそこに含まれていない。

後者はいわゆる技術マーケティングに近い分野でもある。
後者はこれもソニーの経営者であった盛田昭夫が関わったマーケッティング・イノベーションの方法論である。

これらは、製品とそのプラット・フォームが実現するサービスコンテントのインターオペラビリティ等の標準化技術やフォーマット技術とも深い関係があり、これもさらに研究されるべき分野であろう。

彼がレコードという”音を記録し再生できるメディア”を開発したとき、その普及に苦しんだ。それは、”レコード・インダストリ”ができるまで続いた。それは、レコードプレイヤーを買っても、聴くべきコンタントが無かったからである。

そのため、ヒトが喋った音声の内容を、文字に変換するシステムを開発し普及させることが必要だった。
ヒトは喋ることは沢山ありそのニーズは大きいが、聴くヒトは少なく聴くのも時間がかかり大変である。一方、読むのは自分のペースで自由に選んで読むコトができるが、それを書くのは大変である。

そこで、デクテーション・マシンとして手元でマイクを持って自由な姿勢しゃべり記録できるデクテーション・マシンを開発した。
次にこのレコードを再生しながら文字起こしできるトランスクライバーとタイプライターのシステムを開発した。両手でタイプを撃ちながら、好きな箇所を選び、再生/停止が脚で自由にコントロールできるマシンである。またタイプライターのフォントを自由に取り換えられるように、文字部分のエレメントを選んで簡単に差し替えられるようにした。

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[5.7]

そして、この一連の作業がスムースに行くように、女性をタイピストとして養成する学校や、ビジネスマンがビジネスレターを口述出来るようにデクテーティング用の訓練をする支援や、ビジネスレターのテンプレートを作成までしている。こうした彼の努力の跡を、USに3か所あるエディソン博物館で見ることができる。

エヂソンは、1%のひらめきと99%の努力と言った。
ソニーの創業者でもある井深大は、研究と開発と量産量販には、1:10:100の努力の法則が必要であるという言葉を好んだ。

井深は、「なぜ立体音楽はキレイニ聞こえるのだろうか」ということにこだわり、産学の研究会を組織した。当時放送局に2チャンネルを使って立体音楽を流してもらうのに苦労した。このため、立体で御席を記録し再生できるシステムとして、磁気テープと磁気記録再生ヘッドとそれを駆動するメカと電気回路まで一式の開発に取り組んだ。

しかし、ソニーもまた、テープレコーダを開発しエディソンと同様に苦労した。
盛田昭夫は”これは声が撮れるカメラです”と説明し、また、ソニーの4代目の社長に着いた大賀典雄も”バレーリーナは鏡を見て練習できるが、歌手が練習できる声の鏡です”と説明したと言われる。やはり、コンテントが無かったのである。

ソニーは、テープコーダをトランジスタで小型化し、ポータブルのデクテーティング・マシンを開発した。これは、新聞記者達が、インタビューに使いその応用法が広がって「プレスマン」という名機が誕生した。
NASAがこれに目を着け、アポロの飛行士に持たせ一気に有名になった。そして、USでは、医療の診療科医が施術や処方をした場合、これを文書に遺すことを義務付ける法律ができ、各種の診療科と独立の病理科の医者を置くことが義務付けられた。B2B向けの「プレスマン」の市場が広がった。

ちょうどこの頃、トランジスタラジオとトランジスタ・カセットテープレコータを一体化させた「ラジカセ」が誕生した。また、FM放送がステレオ放送を開始し、若者達は、エアーチェックでステレオ音楽を録音したカセットテープの山を家の中に積み上げていた。

ただ、この頃は、家庭のステレオ装置と言えば、パイオニアの3点セットが客間等に置かれていた時代で、中央にレコードプレイヤーを乗せたラジオチューナがデンとあり、左右に大型のスピーカが据えられていて、西洋のクラシック音楽を聴く雰囲気を漂わせていた。
井深は、”これを自分の車に乗せたい”と言ったという。見かねた若いプレスマンのメカ設計者が、仲間と組んでそれをステレオ化した。

ちょうどこのころ、盛田の愛娘が、USから帰宅したが、親にろくにアイサツもしないで、ポップス音楽を聴きに、自分の部屋にと簿込んで行ってしまい、これに目を着けた盛田が「ウオークマン」を思いつく。
ただ、これも簡単では無かった。幾つかのブレークスルーすべき壁があったのである。

一番のそれも最後のネックは、営業部隊であった。スピーカが無い。録音機能が無い、値段が高い、であった。
それまで、秋葉原では、電気製製品というものは、機能がどんどんついて行き、値段がどんどん下がるのが”常識”であった。
録音できないカセットテープレコーダというコンセプトは、有り得なかったのである。

しかし当然ながら、プレスマンはヒトの声が録音でき再生できれば済むが、音楽を楽しむには、ステレオにする必要がある。
家庭財としてのステレオセットであれば、大型スピーカで良いが、個人向けでは、勝手に家庭や野外で音を出せば、家の中も、街も迷惑な騒音だらけになる。
ヘッドフォン以外に選択肢は無かった。久保田洋豪は、マイクやヘッドフォン等の周辺機器の開発を担当していた。低消費電力で高音質のヘッドフォンの開発こそが、必須の条件であった。

当時、ソニーのマイクは、NHKなどに採用され、のど自慢大会や紅白歌合戦等で長年使われたたコンデンサマイクで、多くの人びとはその裏側の背中の真ん中からでているヘソの緒のようなコード付きの裏側しか見たことがないが名器があった。
これは、ソニーがテープコーダの開発に当って技術導入した高周波バイアスという方式にヒントを受けて、後にトリノトロンの開発者となる吉田進が開発した、静電バイアス法を使っていた。

当時技術の担当専務であった岩間や大崎工場長の吉田進に目を掛けられていた久保田は、これをヘッドフォンに応用した。
まず、音を発生する振動膜をステフネスが高いプラスチックの薄膜に静電チャージを掛けて置く。これで、入力する電圧信号と膜の振動の幅が比例する領域を使うことが可能になった。しかも静電荷は抜けないので、電力が助かる。
ただ、この膜を突いて振動させるコイルとそれを振動膜に伝える片持ち針の形状が問題であった。

当時、盛田は、本社工場の副社長室にいたが、自分の強いコミットメントを社員に示すために、プレスマン部隊が居る芝浦工場にも机を置いていた。

久保田は、こっそり、大崎工場長であった吉田を訪ね、メカCAD部隊の応援を依頼した。大崎工場には、トリニトロンというユニークなガラスバルブの設計を支援するため、世界でも最も早く有限要素法のソフトを開発していたCAD部隊を抱えていた。そのGp.は、一回の趣末を使って、IBM1130で最適形状を決定した。いわゆる入力信号が、そのままな特性で振動を伝える振動子の断面形状と先端に行くほど細くなる形状のデザインである。

もちろん、カセットテープに合わせ、出来るだけコンパクトにし、2本の左右のトラックから信号を拾うヘッドやそのアンプ回路の開発や、メカやそれを駆動する扁平モータの社会開発も急がれた。

もちろん、黒木靖夫が盛田と考えた広告や宣伝やソニービルや山手線の中で繰り広げたデモや、ニューヨークのショウルーム等のPRの効果も抜群であった。
ただ、スピーカを無くしたこと、その音質を一度体験した人びとは、衝撃を受けた。
その感動は、次第に世界に広がって行ったように思われる。
機能重視から性能へとその価値の認知の広がりがあったのである。

実は、最近判ったことではあるが、ヒトの6感である眼耳舌身意のセンサーは、この順序に意味がある。つまり、眼が一番遠くを感知し、耳鼻舌身と心に近くなる。
さらに、同じ耳でも、近くの音は、心に響くらしい。NHKの”試してガッテン”でも採り挙げられたが、電話による”オレオレ詐欺”が如何にヒトの感情に訴える力が有るかという実験であった。

ソニーでは、ウオークマンにもこうした技術のブレークスルーがあったことは、採り挙げられなかった。それまで、”新製品とは、技術のブレークスルーを通じて社会の生活を豊かにすること”という定義が、変更され、現在ある技術を発掘し、組合せることで、ライフスタイルを革新できるとし、これからは、マーチャンダイザーがプロダクツ・プランニングの中心的役割を持つとされた。
ppセンターの本社の商品本部への集結であった。

こうした記録メディアのイノベーションは、いずれも、音楽産業として、カテゴリーを確立して進化して行く。
いわゆるレコード・インダストリである。

エディソンが開発したレコードというパッケージ・メディアは、こうして市民社会が持っている時間資源や空間資源を拡張して行った。それは、一見コンパクトネスというサイズファクターがもたらしただけのような、誤解をソニーの中にも蔓延ませる結果となって行ったように思われる。このことを井深は大変怖れていた。

△▼△▼△▼△▼△▼△ コラム △▼△▼△▼△
なぜ日本では、新型コロナのPCR検査ができなかったか?安倍総理が「医者が指弾して必要と認めれば。1日1万件の実現をスピード感をもって検討する」と何遍も演説しにも関わらず、なぜ実現できないまま、緊急事態宣言を説くことになったのか?
また、進んだ日本の医療機関の働きは。世界最高レベルでありながら、診療データの品質レベルは、なぜ世界最低なのか?
根っこは1つである。つまり、日本には、優秀な診療医は多いが、それをチェックする病理医が絶対的に少ないからである。
もし、USに診療医と独立して病理医を置く法律がカリホルニア州に無かったら、ウオークマンも生まれなかった可能性がある。

技術の基礎の分野は、データ分析と、標準化と、インダストリアル・マネジメントである。
富国強兵を急いだ日本は、データ分析は文部省の統計数理研究所に、標準化は通産省の工業技術院に専門スタッフを集結させ、大学に専門の学部や学科を置かなかった。データ分析は、滋賀大を皮切りに認可され始めたが、20校ある韓国やその先を行く中国に追いつくまでには、10年以上係る。
統計数理研究所は、暗号解析等の目的もあった様だが、USの標準化技術はMILのスタンダード開発で軍備品の調達の逐次抜取検査は、終戦後まで軍事機密で論文も入ってこなかった。

また、日本のJIS規格が1985年のプラザ合意後に工業技術院が廃止され、文部省の科学技術庁と共に廃止となった。USには、標準化に関する専門学部は1000を超えていると思われるが、日本には、一つもない。

PCR検査が特定機関に独占されてきたが、日本の感染研は、許認可権を離さない厚労省の技官と、データの独占を狙っているとする観測がある。
感染研は、明治32年、ペスト菌を発見した北里柴三郎が、国立伝染病研究所長としとして国内最大の治療血清・予防ワクチン製造所となった。その後北里は、伝研は伝染病予防事務に関わる審事機関であって教育機関ではないと辞任し、伝研は陸軍と組んで行ったと言われる。
日本の病理学の医者を育てる「マネジメント・セクタ」のトップレイヤが動かない限り、日本のソーシャル・ウエルフェアーは、豊かになり得ない。

△▼△▼△▼△▼△▼△ コラム △▼△▼△▼△


§3.3 急 サチュレーション・スローダウン

ギリシャでは、イリアースはアテナイ軍がトロイアを攻めに行く段階の物語であるのに、オデッセイヤは、トロイア勝利し許嫁の待つ帰国の途上の物語だが、妖しのニンフ達の棲む洞窟で虜になり、月日の経つのを忘れてしまった。ソクラテスの弟子でペルシャの内紛に紛れた哲学者のクセノボン将軍の物語もまた、遠征の帰途の長い闘いの物語である。

近年でも中国を造った朱徳と毛沢東軍が上海近くの端金から雲南省を巡って北の延安まで2万キロ逃げきった長征の旅は、現代中国の神話となっている。
浦島太郎は、助けたカメに連れられ竜宮城で鯛や平目の舞踊りなどの乙姫様の接待を受け、故郷に帰る日時を忘れる。
また、花咲か爺さんのポチも宝物をお爺さんに見つけてあげた跡、殺されてしまうが、再び復活を果たすのである。
こうした英雄帰国譚伝説のプロトタイプは、宮崎駿の”セント千尋”等も同じである。母を訪ねて3000里も、同じ類型である。

ベースボールというゲームも、ヒットを打って1塁に進むが、2類、3類と回って、無事ホームインとなるまでの経過のドラマにファンは、巻き込まれるのである。

◇ イノベ―ションは成功し続けられるか

エヂソンは、音楽だけでなく、映像産業でも大きなイノベーションを行った。フィルム・インダストリである。
映像を記録するフィルムを開発し映写機を開発した。感度が悪いフィルムを使ってそのコンテンツを制作するため、日照時間が長いカリフォルニアに、屋根を一部開いたスタジオを造り、太陽を一日中追いかけられように人力でスタジオ丸ごと回転する仕組みを開発した。

これに対し、井深さんは、自由に観ることができるテレビを考えた。「新聞のラジオ・テレビ欄を開き、この時間のこのチャンネルをと指さすと、いつでもその番組が見えるテレビ」を造ろう、と言った。これが、ベータマックスが目指した、井深さんのコンセプトであった。

ベータマックスプロジェクトは、フォーマット戦争で敗れたが、それが、生み出したイノベーションは、多大であった。ソニーのデジタル化は、そのほとんどがベータマックスのプロジェクトの恩恵を受けていると言って良い。

ベータは、エヂソンが開拓したフィルム・インダストリーから、いわば受動的反撃症候群としての攻撃にさらされる。
ユニバーサルとウォルト・ディズニーが、ベータは著作権違反であると訴えた裁判である。ソニーは、テレビ放送の記録は、フェアーユースであると主張して、USの最高裁判所で勝利をかち取った。

ただ、負けたユニバーサルはレンタルビデオ産業で劇場売上を上回り、デズニーもセルビデオでビジネスを大きくした。歴史の皮肉である。
一方、ソニーも、レンタルビデオが敗因となったが、セルビデオでは、John O'Donnell が音楽とビデオをマージしたビデオ・クリップやミュージック・ビデオのジャンルを開拓し、グラミー賞を受けている。この分野では子供向けのデズニーと共に、セルビデオのジャンルであったが、やがて音楽専門チャンネルのMTVやキング・オブ・ポップスと言われたマイケルジャクソン等の活躍の場を開拓したのであった。

ソニーを急成長させたトリニトロンの終焉は、厳しいものであった。
トリニトロンの命運が尽きた2002年にソニーを救ったのは、当時社長だった出井伸之がパトロンとなって守り抜いた近藤哲と7人の侍達が開発したスタンダード・デフィニッションの映像信号をハイ・デフィニッションにするデジタル・アルゴリズムであった。

この部隊は、当時の技術担当副社長や、ソニーでデジタルに一番明るいと自認していた技術系役員から、チームの切り崩しや開発の方針変更を迫られ、弾圧が続けられた。

しかし、ソニーに毎年1兆円のキャッシュインをもたらし5,000億円のキャッシュアウトで、5,000億円のキャッシュフローをもたらしていたトリニトロンの消滅ショックを救ったのは、この7人の軌跡のプロジェクトだったのである。

ただメディアからは、”出井ショック”と命名された。また、この時季にボードに名を連ねたメンバー達も、その責任を逃れる売文の徒が、メディアの餌食となった。
事前にデジタル化による世界の水平分業化に伴うメガコンペチション時代の到来に備え、社内工場の製造技術を充実させ切り離してEMS(電子機器の受託生産)化を行っていたことと、サムソンとソフトアライアンスで液晶パネルの供給体制を組んだことが、5000億円のSGAをカバーできた。また寿命が短かったELではなく、世界で最も広い色彩領域をカバーする陰極線ランプのバックライトの供給を支援したのは、元ソニーの技師長だった大越明男が、陰ながら後輩達を支援するために一役買っていたのである。
これは近代経営学のケーススタディとして研究されるべきであるテーマであろう。

この様に、イノベーションは、単なるひらめきだけでは難しい。
また、成功しても、その成果をどのように出口に辿り着けるかという大きな問題がある。

◇C5'sコンバージェンスのクレジットのステップに起きた異変

ただ、9.11 エンロン、世界最大のテレコム企業ワールドコム、会計監査会社のアーサー・アンダーセン崩壊が崩壊した。
資本市場の民主化のマーケットの流れは、数多くの人々が投資していたペンション・ファンド等の資産崩壊し、「2002年サーベンス・オクスリー(SOX)法」、企業の技術支出、年間60億ドルを突破。その後リスク開示法が義務化され、投資家を守る規制が、企業から投資や利益を奪う形になった。
そして、クレヂットがクレジットを生むべきマーケットに、リスクの増幅機能が埋め込まれた。
内部留保積み増され、自家株購入で株価を頑張り、開発投資の減少させ、結局IPOも減少している
つまり、C5's の「クレジット>キャピタル」の間に、大きな亀裂が入っているのである。
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[図5.10]


4◇目的をデザインする目的工学を始めよう


§4.1 目的のマネジメント法を開発する

イノベーションの5段階の最初のフェーズは、先を希望持って展望しプロジェクトをキックオッフする起点である。
問題も構造化されていないいわば”ゼロ⇒空”のスペースのやがて現れるコンセプトを探す問題であるともいえる。

古代インド・アラビア語族が”0”を発明したとき。それには2つの意味があったように思われる。”空”と”無”である。
”無”に対しては”有”がある。”空”に対しては森羅万象あらゆる事象が対比して語られる。つまり、空には、無と有が対比している。
前者は位取りの”0”であり、後者は、”存在否定”の”0”である。

このフェーズのアウトカムは、プロジェクトを駆動するための、”明確でスジの良い強い達成目標”を設定することである。
このフェーズでは、プロジェクトのテーマである駆動目的を探索する、イノベーションのテーマのコンセプトのデザインが主題となる。
エディソンや井深やスチーブ・ジョブスなどではなく、衆知を集めて集合知メカニズムを使って、これに挑戦する訳であるが、出されたコンセプトが、空なるものか無なるものかの判別は、重要な議論となる。

無に挑戦すればいつまでも空しい結果となり、チームは無力感に襲われ、成長どころかその後挑戦する気力を失う。逆に成功できないと誰でもが考えるテーマで成功することが、大きなイノベーションとなる。マネジメントは、プロジェクトに参加する人びとや企業や企業の部門に対しその責を負う。

ただ、空に挑戦し、そこで有を実現すれば、新しい価値、ブルーオーシャンへと船出となる可能性がある。
そして、参加した企業や機関、そして人も育つことになる。

イノベーションは、命を持った自然人が生活する「シティズン社会」と、持続性の宿命を持った組織が業を営む「ビジネス社会」とが、それらを仲介する使命をもった「マネジメント社会」の各ドメインが相互に作用しながら、人々が求めるエドモニアへの希求をエネルギーにして、活動する場での進化的現象としよう。

ただ、その活動は、自然の本質(ネイチャー)に支配される「リアル環境コズム」の場において、人工物の限界を持ったバーチャルな「メディア環境コズム」を手段として、各ドメインの様々なプレイヤ達があたかも生存資源の創造的獲得ゲームのような活動をしているとして考えてみたい。

ここで、「マネジメント社会」のドメインの機能は、自らのドメインを含む、全てのプレイヤー活動余剰を最も効率化するメディエイタ―の機能を果たすことである。

「マネジメント社会」のドメインは、大きくは国や国際社会があり、そこでも、「シティズン社会」や「ビジネス社会」のドメインのプレイヤー達が活動しており、そのレイヤーでも、「マネジメント社会」のドメインのプレイヤーは、法やルールや標準や市場のメカニズム等で、メディアエイタの役割を果たしていると考えられる。

さて、イノベーションは、プロジェクトによってのみ生まれると言って良い。
そしてなにより、イノベーションが生まれるためには、プロジェクトのマネジメント機能が必要である。

プロジェクトにおけるマネジメントの役割は、時間と資源の調達とビジネスが価値を獲得する活動の制限条件を緩和し、ステークホルダーの余剰の総和を効率化することである。
そしてなにより、無事帰還を果たすことであり、いわゆる出口戦略である。

こうした資源には、人や機関、資金や契約、そしてビジネスにとってコアとなるコンピテンス・オブジェクトの収集と組織化とその運用が含まれる。


◇駆動目標の要件

井深は、「明確でスジが良く強いただ1つに絞られた達成目標が、イノベーション・プロジェクトの成功の絶対的な必要条件である」とした。

そして、
・「その達成目標のためには、残念ながら複数の目的群が必要で、それはプロジェクトの進展によって必要な資源を得るための契約となり、場合によっては足かせになる」。
・「必要な資源提供者には、そのための目的を提供する必要があり、ヒトを見て法を説くことが必要である」。
・「目的群は、常に変化させ、マヌーバしなくてはならない」
とまで言っていた。

紺野登は、F-CAPシステムとそれを生んだトリニトロン・プロジェクトを研究し、また井深が研究した”成功するプロジェクトの事例としての新幹線プロジェクトやNASAのプロジェクトのケース”や井深の講演資料等を、注意深く研究し、目的工学を提唱し推進している。

目的工学では、大目的、中目的、小目的の3層構造に整理し、そのオーケストレーションが必要だとしている。その骨子は、目的のマネジメントと、目的によるマネジメントから成るとしている。そして、そのためには、場の構築を運営が必要であるとしている。

大目的は、将来へのまたより広い社会へのスコープからの複数の視座に立つもので、公共の福利厚生の観点が重視される。
小目的は、個々の参加者がもつ、自らの現在保持している、または未来に向けて成長させたい潜在的な優位な資源プロジェクトの参加者の視座による、目的である。

そして、中目的こそ、井深の言う”明確でスジが良く強い唯一の達成目標”と呼んだものである。
つまり、この駆動目的は、多くの参加者のベクトルを揃え、その一点に議論や活動を収斂させるものである。
また、大目的は、社会がエドモニアへの静かな欲求の流れに乗って、プロジェクトを押して流して行く、間接的ないわばナットワークの外部経済性とでも言うべきエネルギーである。

さて、この駆動目的が実現できたとき、大目的と繋がるかどうかを判断し調整するのが、「マネジメント社会」の機能である。
広い意味の「マネジメント社会」のキープレイヤは、国や行政や法律や諸標準であり、機関としては、行政、議会、司法、また、銀行や保険等である。

本来的には、「マネジメント社会」は、組織のエゴに走りかねない「ビジネス社会」を押さえ、SDG’s等に対し、本来の「シテズン社会」から預かった資金や権利を、そのエドモニアの為に、捧げる義務がある、
つまり、大目的は、無辜の人々のエネルギーが、本来望む方向に、活動の流れを導く機能である、

もし、良いイノベーションのテーマとしての駆動目的が見つかったとすれば、それは、「マネジメント社会」が支援するものとなるだろう。

そして、良いイノベーションのテーマとしての駆動目的が見つかったとすれば、イノベーション・プロジェクトに参加する個々の人々の本来自分の持っている資源を活用し、成長することで「シテズン社会」のエドモニアに繋がる。


§4.2 目的工学は、目的群のオーケストレーション


イノベーションに関わる幾つかのドメインのプレイヤーが自律的で多様な価値ベクトルを持っている。これらのベクトルを収束するのに、駆動目標が機能する。

その駆動目標は、プロジェクトに直接関わる個別小目的の収束の機能を持つと同時に、駆動目標から見て、必用な個別目的群が整っている必要もある。

また、大目的群のプレオヤーから見て、駆動目標がそこに貢献できるかに関心があるが、駆動目標から見ても、大目標群に貢献できるかが試される。


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この様に、目的の階層構造の中心は、あくまで駆動目標である。
・特徴的な機能を挙げる:
1)目的のオーケストレーション
プロジェクトの成否を決定する重要な機能として、目的のオーケストレーションがある.これは井深大が.イノベーションに対し、ライン・オブ・ビジネスのトップ達の説得に苦労した経過を振り返り、「説得工学が必要だ」との言葉を遺した.これに触発されて、紺野登が提案したコンセプトである.この要点は、プロジェクトが”達成すべき、明確でスジの良い強い目標”をデザインすることである.紺野は、大中小の目的を3階層とし、そのオーケストレーションという概念を提唱し研究所を設立した9).

小目的は、プロジェクトに参加する個人や組織が、自らの比較優位とも言うべき潜在的資源を提供してプロジェクトに参加する目的群である.
大目的は、社会が望む希望の状態であり、共通善とも言われ、例えばSDG's等公共的な役割を担う金融機関やメディアや政府を説得する力を発揮する.
駆動目的は、多くの参加者の小目的群のベクトルを合わせ、社会や将来の理想的な大目的群から見てその流れに従って”達成されるべき明確でスジが良く強い目標”のことである.これによって、参加のモチベーションと、ネットワークの外部効果性が繋がり、継続に必要なダイナミズムが生まれる.

◇ 究極なエドモニアの大目的に向かう大きな流れ

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[図5.15]

社会が望むより豊かな方向に向かう幾つかの河の流れのようなプロジェクトが、生まれる。
それらは、その時見え始めたあるべき将来の姿に向かって、行く流れのようなものであろう。

マネジメント社会のトップレイヤでは、こうした多くのデスラクティブなイノベーション型プロジェクトが、ダイナミックに出現できる環境を整えられるかどうかである。
例えば、日本の科学技術基本計画などで、その諮問委員会の有識者が、既存の制度の中の既存の業界や学会の代表者が中心となる傾向から脱するこことは困難である。

◇ 目的工学を定義しよう

 1人でできることは限られる。効果的なイノベーションには、単独の組織では時間が掛かりすぎる。

 将来の社会が向き合うべき複雑な課題に挑戦するためには、既存の技術資源やルール資源を前提とする高度に専門分化した組織が、単独でイノベーションを起こすことは極めて困難で、一定の時空を限った場とプロジェクトが必要で、その創設とマネジメントに関わる研究開発が必要である。 

目的工学の定義の議論はまだ始まったばかりであるが、暫定的に下記としておこう:

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ここで、状況によって変化する目的の体系とは、社会全体が望む状態(大目的:究極目的群)を指針としつつ、達成すべき揺るぎない一つの目標(中目的:駆動目標)を共有する場に集結し、そこに資源を持って集まる多様な主体の個々の意図(小目的:個別目的群)からなる体系であって、社会状況の変化や、価値の創造の進展による必要な資源等の変化によって、継続される目的の多層階層構成のことである。

これを、紺野登は、目的のオーケストレーションと呼んだ。いわば目的群のマネジメントである。

大目的群は、いわば人々が望む究極善で、人びとが議論なく共有する。
駆動目標は、いわば現状をブレークスルーして新しい世界を開く、共鳴が広がるただ1つの中目的である
小目的群は、いわば自らの意志、意図、使命によって、個々の主体が自律的に行動する個別目的群である。


◇ 国家としてのマネジメントの責務は

それは、そうした従来の安全や安心のためのルールや制度を守る力が働くからである。
特に、日本は、明治維新以来、シビルローの法体系のもと、富国強兵のため、殖産興業は近代的産業を育てることがおもな目的で交通や通信の整備、金融制度の整備、特許権や著作権などが進められてきた。そのため、官によるポジティブ・リスト方式の許認可が、大きなブレーキとなってきたことは、否めない。
この予定調和的でいわばクローズされた、官による制約を運用することを業とする者達や、そこに現在連なる有識者の意見が主な議題となるからである。

イノベーションは、そうした秩序を破壊するか、そこから脱皮する現象である。
対して、コモンローのアメリカでは、ネガティブ・リスト方式で、官は責任を追わず、結果をもたらしたものがその責任を追えばよいとするオープンなメネジメント体系であるといえよう。

例えば、著作権に関して言えば、アメリカでは、日夜新しい知的財産権が生まれ、新しい取引形態が生まれる度に、新しい著作権が発生している。
日本では、サーバーにWebをスキャンして、日本語コーパスを構築するため幾つかの官民のプロジェクトが起こされたが、それが著作権に抵触するかどうかは、文科省の判断にゆだねられ、挫折した。その間、御存知Googleは、日本外にサーバを置いて、AIの元となる日本語の用法例の最新・最大の辞書を確保し、上手いビジネスを展開している。
国家レベルの「マネジメント社会」も、「ビジネス社会」がイノベーションするための、イノベーションが求められている。

◇ 駆動目標の具体的な例を見てみよう

成功したプロジェクトは、唯一の明快でスジが良い強い駆動目標を掲げていた。
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[図5.16]

例えば、アポロ計画では、「この1980年代の内に月に人を届けて再び地上に立ち返らせる」とJ.F.ケネディは、宣言した。
新幹線計画では、「東京オリンピックまでに、東京と大阪を3時間で結ぶ列車を走らせる」と、島秀雄は宣言した。
マッキントッシュでは、「IBM PCが支配するまでに、全て必要なハードもソフトも全てが揃っていて電話のように誰でも直ぐ使えるホール・プロダクツを造る」と、スチーブ・ジョブスは熱く説いて、ソニーへの協力依頼にきた。
トリニトロン計画では、「家族全員が夕辺の明るい食卓を囲んで、見ることができる明るいカラーテレビを造る」と、井深大は説いた。
これらは、そこに集まった仲間に、その才能を活かす場としてのプロジェクトの駆動目標のテーマの意味を語り専門家のチームを集めた。


§4.3 駆動目標は、”明確でスジが良くて強いこと”

C:明確であること、S:スジが良いこと、R:強いことの条件は、
1)社会的なレイテントペイン、レイテントニーズに対するソリューション ・・・気が付かなかった問題、不可能と思われていた課題への解(S)
2)上位目的から良い(S,R)
 ・・・手段に捉われない、理想の追求の可能性確保
3)下位の目的群の調整によるステークホルダーのエンパワーメント(C)
 ・・・積極的参加と説得の効率化による資源の確保
4)種変技術の発展の成果がシンプルに反映される 
 ・・・周辺関連技術の発展の外部調和性(S)
5)社会的な価値トレンドとの調和(S,R)
 ・・・ホールプロダクツ、ホールサービス環境の外部ネットワーク効果
6)目標達成が実現できたときの歓びの共感性(C,S,R)
 ・・・ステークホルダーの潜在能力や、サンクコスト資源の利活用の気付き
7)誰でも理解でき想像できる従来のプロダクツ/サービスを、リ・イメージポジショニング ・・・従来存在し、価値が証明されたプロダクツ/サービスの新鮮な生まれ変わり(C,S,R)
8)技術のブレークスルーとライフスタイルのブレークスルーの両面イノベーション ・・・技術の発展と、生活の発展への、持続的期待に基づく、関係者のエンカレッジ(S,R)
9)トップの強いコミットメント(C,R)
 ・・・チームメンバーは時に心が折れる。最悪状態への備えと全てを引き受ける覚悟、等である。
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[図5.17]


◇. イノベーション・コンセプトはヒトの心が望むソフトウエアである

井深が示した多くのコンセプトメッセージは、いつ、どこで、だれが、だれと、どんな時に、どんな風にそれを楽しむのかというヒトの心の情景が浮かぶステートメントだった。

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[図5.18]
井深がソニーの社員に最後に直接語った1992年1月83歳の時、ソニーの2400名の中堅語ったメッセージは、「ソニーが目指すべきパラダイムシフトは、ヒトの心が望むソフトウエア―ズを提供することで、そのためには、自然とヒトの心を分離したデカルト以来の近代科学のパラダイムを壊す必要がある。ヒトの心とモノは表裏一体である」、という激しいモノであった。

イノベーションは、いわばヒトの心が望む状態を表現する技術コンセプトであり、それも単なる機能や性能だけでなく、ユーザの使い方や使った時のスタイルやその魅力等も含めたソフトウエア―であり、ソフトウエアのコンテンツ・コンセプトである。

◇ ヒトの心の状態ベクトルとのマッチング

ヒトが求めるサービスニーズは、心身の情況変更ニーズである。ヒトが望む項目はいろいろ複数あり、多次元ベクトルである。

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[図5.19] ヒトの心の状態ベクトル

井深は、”明確でスジが良くて強い駆動目標”をいくつも語った。それは、他の企業が実現したこともあったし、未だ実現できていないテーマもある。

さて、次の第6章では、イノベーションの5のフェーズのうち、本章で比較的詳しく述べたプロジェクティング・フェーズを除く4段階のフェーズの活動とそれを支援するワード&データの役割について説明して見たい。

第5章了



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