1編

SONY 神話、あるイノベ―ションの物語
 SONY Myth, It's an innovation story of media

4章
ハードとソフトの協奏のデジタルのベルが鳴る


3◇大海の荒波に洗われる日本列島を見る

3.1 ジャパン・バッシングから第2次技術覇権戦争へ


◆ 技術立国の旗を科学原理主義に差し替えた日本

経済は循環し、また成長する。一方、国や、企業は興りまた衰退するのも世の習い。
近代経済学は、ケインズ以来、ハイエク等を対極にしつつ、循環する国家経済を立て直そうと、その政策を巡る論争を繰り広げてきたようだ。
そして、20世紀末の近代経済学は、経済成長の謎に取り組み、技術経済学(Technological Economics)の分野も切り拓いてきた。

そして、日本社会もまた、そうした循環や盛衰との波に揺られ、ソニーもその流れに晒され揺さぶられてきた。
それは、所詮は自然の命あるものの営みではあるが、その時代の流れに掉さしたアカデミアやマネジメントの様相を、眺めてみよう。

1980年代の半ば、日本では、東京の兜町と日銀と丸の内を挟んだゴールデン・トライアングルから土地バブルが急速に始まり、1990年末には東京1部市場は、38,915円と株価がピークにまで上り詰めて、その後長い長い停滞期に入ってしまうのである。

しかし、日本が世界経済でにわかに存在感が注目され始めたのは、1971年のニクソンショックであったのではなかろうか?
その頃、日本経済は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで一気に坂の上を目指して登りつめ、世界をいわば恐怖にまで陥れたような時期でもあった。
欧州では、「JAPAN」 は、「コンカラー:征服者」や「イエロー・ペルリ:黄色の悪魔」 という言葉と共起されるまでになっていた。
それは、「モンゴル=タタールのくびき」 とも言われるモンゴル族への昔の恐怖心の表現でもあった。

それが第2次技術覇権世界戦争として、日米間で顕在化したのは、1985年のプラザ合意であった。そしてその終焉の始まりこそ、まさに1990年日本が絶好調を迎えたまさにその時であったと言っても良いと思われる。
それから、現在の日本は、半世紀にわたると予想される長くて深い眠りの時代を迎えているように思われる。

翻ってみるに第1次の技術覇権世界戦争は、1957年、ソ連はが世界初の人工衛星となるスプートニク1号を打ち上げ、米ソがミサイルと人工衛星で覇権を競った時であった。
この時、米国のアイゼンハワー大統領は、国家航空宇宙局(NASA)を創設した。
しかし1961年ソ連のガガーリンが世界で最初に宇宙を飛行しアメリカ人は、また、ショックを受けた。
大統領になったケネディは、”この60年代が終わるまでに、人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる” という目標を掲げ議会で宣言し約束した。

しかしやがて、ソ連は、ブースター・ロケットの開発を断念し、1991年ソビエト連邦の崩壊で、これは、アメリカの勝利で終わった。

そして第2次技術覇権世界戦争は、1971年のニクソンショックから始まり、1985年のプラザ合意となって表面化した。
この年、日米半導体協議が決着し、日本は、”基礎科学原理主義”ともいうべき狭い構想空間に押し込められ、「技術」という言葉を封印された。
その結果、日本は、基礎科学すらおぼつかなくなっている。

そして今は、第3次技術覇権世界戦争が、米中によって開始されている。

1970年の初頭、当時アメリカは、国の貿易赤字、政府の財政赤字、クレジット・カードによる家計のいわゆる3子の赤字に苦しんで、商務省は、”バイ・アメリカン” のキャンペーンをはり、日本バッシングを開始していた。
因みに、このときの商務長官こそ、ハリウッドにソニーを導いたピータ・ピーターソンその人である。

当時のアメリカのコンスーマ用電子機器メーカは、ほぼ壊滅状態となっており、一方、日本は高株価を背景に、時価発行で企業も潤沢な資金を得て、世の春を謳歌していた。
銀行も、世界トップ10の半数以上の資産を蓄えていた。日本の企業は、だぶついた資金を持てあました銀行から安い金利で融資を受け、世界中の資産を買い漁った。

音楽や映画や、タイムズ・スクエアー等の不動産等を買い占め、フランスのワインのシャトウや名画等の買収に、猛威をふるい、”日本株式会社”、”ジャパン・アズ・No1.” と言われた時代である。

特に、「基盤研究ただ乗り論」 は、フランスのクレッソン外務大臣等を巻き込み、大合唱となって世界中に広がっていった。
これは、またアメリカ人が最も嫌う、”フリー・ライダ”、つまり他人の牛を盗む野盗の仕業とも言うべきものであった。
ベータマックスの著作権提訴の裁判も、そのトラの尾を踏んだのがきっかけだったのである。

アメリカの 「ジャパン・バッシング」は、誠に周到で戦略的であった。
まず、日本から ”技術:テクノロジー” という言葉を徹底的に追放し、”科学こそ至高の価値である” という刷り込みを図った。
通産省から ”工業技術院” を追放し、文部省から ”科学技術庁” を消滅させることに成功する。

日本工業規格:JIS等の技術標準化活動は、骨抜きにされ、ISOに追従するようになった。
これで、産業の基盤となる ”データの標準化技術基盤” は、窒息死状態となり、いわば産業のOSとも言える基盤のアップデート機能は失われた。
アメリカにはNISTを始めとするいくつもの公立の標準化研究機関があり、また700を超える大学に、標準化技術に関する学部や学科があるが、日本では、2022年現在まだ ”ゼロ” である。

また、マス・メディアも技術部を廃止し、科学文化部に衣替えした。
例えば読売新聞からも、技術部は廃止となり、技術ジャーナリスト達は職を追われた。NHKや他のマス・メディアも同様であった。
そして、科学文化部の記者の仕事は、夏が過ぎる秋口になると ”今年のノーベル賞には、どんな日本の科学者が選ばれるか” の予測情報と事前取材することが生業となった。


◆ 第2次技術大戦に敗れた日本の産業技術

これはまさに日本の現在も続く、出井が言う第2の敗戦である。
それは、日本自らが ”科学至上主義” とでもいう宣言を高らかに謳い上げた有様で、島津製作所の田中さんや、日亜化学のLEDの中村さん等のエンジニアがノーベル賞だとすると、それは意外であると、それをまたニュースにする有様となった。

そして、”彼らこそ文化勲章を”と、盛り上げる。日本で最高の誉である文化勲章をノーベル賞の技術者に後追いで出す様になったのは、江崎玲於奈さん以来からの伝統となっている。
ソニーの井深がイノベーションを起こしたビジネスマンとして、日本で始めて文化勲章をもらったとき、”学芸や文化にどのような貢献があったか” と、問い詰められたと言われる。
基より日本は、士農工商であった。金に近いヒトは、尊敬されてはいけない。ノーベル経済学賞は、文化勲章とは最も遠い存在となるのである。

また、ノーベル賞を獲った学者やエンジニアは、その後ほぼ例外なく”基礎科学の重要性”だけを国民に語るように、メディアは誘導質問で偏向報道に導いている。
そして、発明した特許の権利を主張すると、マスコミに批判されるような国となってしまっている。
本来、ノーベルが黒色火薬を開発したとき、その用途が戦争等に使われ、非難されたことを契機として始められたと言われる。
科学は、社会の課題や目的から遠いが、技術は社会のための新しい用途と用法の知識の獲得であり、社会の目的に直結していなければならない。
しかし、世界のビジネスは、Googleや、Facebookや、Amazon などに見る様に、ノーベル経済学賞の受賞者の開発したアルゴリズムやメカニズムを利用して、人びとの生活を豊かにしているという現実から目を逸らし、”武士は喰わねど高楊枝”とうそぶいている訳には行かない。
円は安くなり、株価は低迷し、輸入資源は高くなり、資本は日本から逃げて行き、一人当たりの稼ぐ力は、この30年で経続的に落ちている。

さて、1985年9月22日に開かれたプラザ合意で、ドル安に日英独仏が合意した。翌1日24時間だけで、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台で取引されるようになった。
そしてドルは、1988年末には122円まで下落した。

また、日本は半導体でも圧倒的なシェアを誇っていたが、自主規制を余儀なくされた。目標の数量規制の密約説もささやかれた。
このとき、また日本の業界をまとめ役を担わされ代表して交渉に当ったのは、ソニー社長の大賀典雄と、専務の鹿井信雄だった。大賀は”そうした密約はありません"と記者会見で応えている。
ただ、2018年12月19日になって朝日新聞は、” 「外国製半導体のシェア20%に」 秘密書簡 日米協議” として、30年前にサイドレターが交わされたことを報じている。

アメリカ最大の半導体メーカだったインテルは、巨額な投資を必要とするDRAMから軸足を付加価値の高いCPUへと転換を果たした。また、これは韓国のサムソンがDRAMを支配する、米韓の独占的競争状態を作り出すことになり、さらに続いて台湾が、半導体のリーダ・シップを握ることに繋がったのである。
そして唯一、日本では、アナログとデジタルとの相性の良いCCDを基盤とするソニーのセンサーがシェアをトップで、東芝のNAND型フラッシュメモリが、サムソンに次ぐ2位のシェアで、生き延びている状況である。

1970年初頭、ソニーは、盛田の掲げた ”グロバル・ローカリゼーション” のスローガンの下、アメリカのカリフォルニアにサンディエゴ工場を建設し、アメリカのダンピング提訴を避けると同時に、岩間をアメリカの社長として送り込んだ。
また盛田は、2重課税を避ける運動を展開し、1973年には、来るべきトリニトロンに次ぐベータマックスで、独占禁止法を避けつつ、足場を固めようとしていた。

一方アメリカは、カラーテレビで世界をリードしたRCAを始めGE,Zenith,Magnavox,Motorola、SylvaniaやPhilcoなどがあったが、いずれも家庭用VTRの市場に登場できず姿を消しつつあった。
その一方、アメリカが開始したICT革命は、1980年から始まったOA元年からであったと言えよう。

ソニーも、1981年には、3.5インチのFDを開発し、1982年オランダのフィリップスと組んで、CDというデジタル・メディアを、オーディオで登場させた。
これは、やがてパソコンに始まる全く新しいICTの時代を切り拓くことになるのだが、こうして激動の技術覇権競争の幕が切って落とされようとしていたのである。

それは、その後の1995年に、出井伸之が 「隕石」 と喩えた、インターネットに始まるデジタル・ネットワークの時代へと世界は大きく回転する準備を始めていたのである。




3. 2 アメリカの経済学が追求した「経済成長の謎」

アメリカの急激な経済の上下変動は、単に技術革新の有無だけで捉えることはできない。
それは、景気変動や為替変動と政策に影響を与えたマクロ経済学だけでなく、Googleやフェースブックの広告モデルに見る様にミクロ経済学が与えたビジネスモデルのイノベ―ションの寄与もあったと思われる。
一国の経済と企業活動とが相互に作用し合い、結果として知的情報を扱えるまでに成長した半導体や、それに支えられたインターネットなどの通信技術と、その恩恵を受けたインフラがもたらした社会の全ての主体群がおりなすダイナミックな現象でもあった。

それは出井が注目した、薄くスライスされたが故にグローバルに水平分業され、その結果がもたらす業界の枠を超えたメガ・コンペチションの出現”であった。
また、アメリカの経済学者の注目した 「独占的競争政策」等の急速な社会のルールや規範の経済政策の進化にも注目しなくてはならないだろう。
こうした企業環境の生態系の進化を、素人ながら一人の産業人としての経験にも鑑みて、主としてアメリカの経済学の進化として、ノーベル経済学者達の理論の変遷から眺めて見たい。


1)経済は成長し続けるかというアメリカ経済学のテーマ

なぜ、経済は成長するか循環するのか、これは近代経済学の長年の大きな課題であった。その対処法も、簡単にいえば、自由市場主義の小さな政府か、国家政策主義の大きな政府かという2元論が繰り返されてきたように思われる。
そして次第に、何故成長するのかへと変わり、21世紀を迎え、グローバル・ネットワークの進展により、国家の役割も次第に弱まりつつあり、「知識創造」 と 「イノベーション」 のメカニズム・デザインへのインセンティブへと、焦点が絞れられつつあるように思われる。
とはいえ、国家の地政空間的にも、また国内の資産格差が拡大し固定されつつあり、それが豊かさを求めるブレーキとなり、また潜在的なエネルギーにもなっているように思われる。

本来、経済学は、歴史的には、生活に関わる資源の所有形態や、生産、流通、分配の形態に関する概念で、紀元前のペルシャやギリシャ・ローマの国制についての思想、また、中国では6世紀 「經世濟民」とする思想や概念から生まれていると言われる。

19世紀にアダムスミスが分業の利点を、マーケットの拡大とスムースな決済手段であるとし、マーケット・メカニズムが国を豊かにするとしてきた。
一方、リカードは比較優位による国際分業と、今に続く自由貿易による利点を説明してきた。ただしかし、リカートは同世代のマルサスと共に、収穫逓減の法則により、世界経済は停滞に陥るとする立場でもあったと言われる。

またカール・マルクスは、ケネーの経済循環表から、人間は働いて価値として消費財や生産財を創造する、しかしそれ以上は消費せず設備や物質等を資源として蓄え、再生産に回すことで、生産は拡大するとした。
そして、シュンペータは、イノベ―ションこそが、競争によって経済を活性化さるとしたが、マルクスと同様、それは、内部から起こるもののみであると規定し、ビジネス・モデルを含むイノベ―ションの5類型を示した。

このイノベーショの思想こそ、ここで採り上げる近代経済学の経済成長に関する研究が一貫して、モデルの内部化とそのメカニズムの追求として踏み外すことをしなかった点である。

しかし現実には、自然資本等を消費し、経済循環を超えた長期的トレンドに襲われているのも事実である。
そして、まぎれもなく、生産と消費のバランスが崩れいわゆるGDPギャップが生まれ、格差が生じ、成長という現象と格差という現象とが切り離せないだけでなく、外部資源制約という古くて新しい現実を直視せざるを得なくなっている。
以上が、浅学菲才の経済学に疎いある経営工学者の立場からの勝手な概括である。

こうした昔ながらの観点から、近代経済学のアメリカの主流派の研究の研究者達の闘いと進展を解説した経済ジャーナリスットの、デヴィッド・ウォルッシュの「ポール・ローマと経済成長の謎、小坂理恵訳」をなぞる形で、自己流の解釈を交え見て行きたい。
それはこのすばらしい啓蒙書が、少しポール・ローマとポール・クグーグマンへのこだわりと些かな偏りもあるが、ソニーが関わった「技術革新」 と、5代目の社長となった出井のマネジメント・スタイルを読み解く上で、終生こだわり続けた、「経済循環と成長」、「収穫逓増のモデル」 、また「複雑系」 に焦点を当てているからでもある。


2)1970年から80年代のアメリカと経済学

◆収穫逓増と一般均衡の共存

ちょうど、ノーベル経済学賞が始まった1969年頃から、アメリカの経済は変調が明らかになり、こうした流れに揉まれつつ、経済成長が、大きく取り上げられるようになった。
これは、ソニーの井深が成功させたトリニトロン・プロジェクトと同じ年に重なる。そして、その年辺りからアメリカ自身も国の凋落を自覚せざるを得ない状況になりつつあったのである。
それ以来アメリカのマクロ経済学では、長年の景気循環論から、国の経済成長が大きなテーマとなってきたようである。

そして、1971年のニクソンショックで、ブレトンウッズ体制が崩壊し、戦後の変動通貨体制に変化する年でもあった。1970年代、最も成長が速い国は、日本だった。
また、日本が米国の自動車産業に対しても大攻勢を仕掛けていることは明白だった。

デヴィッド・ウォルッシュの本には、1970年代のアメリカの経済学のテーマが国際競争力であったことと、収穫逓増モデルに関する問題であったと、以下のように述べている。

ポール・グルーグマンという24歳のMITの大学院生は、カルフォルニアのビジネスマンから仕事上の不安を聴かされた。日本の国内市場は手厚く保護されている。それを練習台として利用しながら、日本は世界市場征服の準備を進めているという。これは、1978年の話である。

日本メーカは、まずカメラとオートバイで成功をおさめ、次は自動車で勝負する準備を進めていた。テレビ、ビデオ・テープレコーダなど家庭電器製品はすでに包囲されている。
先端技術産業が盛んなカリフォルニアの住民達は、次の大きな標的が、20年ほど前に開発されたばかりの半導体であることを理解していた。
いずれのケースでも、メカニズムは変わらない。まず、日本は、最新式の製造プロセスに惜しげもなく投資する。つぎに、国内向市場向け生産に腰を据えて取り組み、固定費を回収する。
やがて製造技術を改善すると輸出市場を標的にするが、海外市場では商品価格を徐々に低下させる。

また、ポール・グルーグマンは、それまで学校で学んだ19世紀からの国際貿易に関する 「比較優位性」 に基づく、自由貿易の利点と、規模に関する収穫逓減による収穫一定の原則と、自由競争原理に基ずく土地や資源の不均等な分布が是正され、世界は平等に発展して行くはずであると、しかし教科書の原理の思いを巡らせたが、事実は説明できそうではなかった。
もし、ビジネスマン話が事実であれば、日本は、次から次へと工業製品のカテゴリーを全て、コンピュータから飛行機に至る全てを席巻することになるだろう。

しかし、市場が常に 「事態を正常にする」 とは限らない。それは、正常にする場合もあるかもしれないが、混乱をもたらす可能性がある。
それは、幾つかの最適に近いポイントがある場合であり、そうなると厚生経済学(関係者全体の利益)の定理が機能しなくなるからである。そこでは、国の介入が必要となる。

そして、ポール・グループマンは、収穫逓増と一般均衡が共存できることを示した。
代替品が存在しない自動車、飛行機、シリコンチップ等の高級品の大量生産で先行した国は、大量生産を維持できる。
専門化は維持され、単価の減少につながり、他の国は参入できなくなる。


◆ ’80年の経済学の独占的競争と比較優位の統合

1981年、初頭ロナルド・レーガンが、ジミー・カーターの後継として代アメリカ合衆国大統領に就任し、経済再建計画として、レーガノミクスを策定した。
その年を象徴するように、8月 IBMがマイクロソフトのDOS(ディスク・オペレーティング・システム)搭載の「IBM PC」を発表した。

レーガン大統領が登場した1981年、シカゴ学派の経済理論は、ケインズ理論による財政政策を 「大きな政府」として批判し、国営企業の民営化、公共事業の縮小、規制緩和などによってより自由な経済活動を活発にさせ、景気の変動には財政出動ではなく、通貨供給量(マネーサプライ)を通じてコントロールすることを主張した。
このような経済理論をマネタリストまたは、新自由主義と言われ、代表的な経済学者にはフリードマンやハイエクがあげられるようになった。

1985年にグルーグマンとエルハン・ヘルプマンは、「市場構造と外国貿易―収穫逓増、不完全競争、国際経済」 を発行した。
それは、国際貿易を1種類で捉える代わりに、構造を上下2種類に分離するというものであった。
下から支える商品やサービスは、完全競争を特徴とし、比較優位が原動力となっている。
上から降りる層は独占的競争で、ここでは、政府から補助金をたっぷり供給された大企業が、お互いの市場に定期的に攻撃を仕掛け、専門化が市場規模によって決定されるとした。

下の層では、比較優位が支配するが、上の層では歴史が結果をもたらしたものに過ぎない。芝刈り機にせよ、飛行機にせよ、コンピュータにせよ、だれでも1番乗りをはたしたところが勝利を収める。ひょっとしたら、日本の成功もこれで説明することができる。
「この独占的競争」は、リカード以来の比較優位と自由貿易に基づく貿易理論を瞬く間に席巻した。
結果として、経済学では国際通商を、大まかに2重構造と見なすようになった。
そして、1979年、ポール・グルーグマンによって、独占的競争と比較優位という相容れない原理を統合する方法が、提案された。


3)知識獲得におけるスピルオーバというジレンマ

◆無形資本財とスピルオーバによる市場の失敗

ここから、収穫逓増と、国際貿易と不完全競争に関する話をポール・ローマを中心に見て行こう。
1981年、ローマは、学位論文をまとめた。「無形資本財、すなわち新しい知識」のおかげで、総生産に規模の収穫逓増が発生し、それはスピルオーバという形で具体化されるとした。

ただ、発明に積極的な投資を行う理由がないため、市場が失敗している場所を見つけ出し慎重に範囲を定めた。これらの場所では、折角の利益がスピルオーバのメカニズムによって減衰してしまう。その結果、新しい知識への過少投資が組織的に発生する。
彼は、知識が収穫逓増のエンジンであること、その成果がスピルオーバすることを捉え測定できるとしていたが、その成果がスピルオーバしてしまうという現象自体が矛盾する。これを解く制度に関する問題にまでは、未だ到達できていなかたった。


◆ イノベーションにおける固定費と収穫逓増の関係:
新しい知識の製品化と価格設定者になる必要性

イノベーションによって、収穫逓増には恵まれるが、それには研究開発という高い固定費の壁をブレーク・スルーしなければならない。
また、研究開発で得た新しい知識のスピルオーバを防ぐためには、具体的なモノ形にすることが必要となる。
それは、販売できる新製品である。つまり、生産と販売の専門化を目指すこととなる。そして、最初に掛ったR&Dの固定費を回収しなくてはならない。

また、自分達が 「価格設定者:Price Maker」 に成らなくてはならない。従って、しばらくは、独占者として振舞うことが求められる。そうして、ニッチな用途を見つけた新製品は独占的利益を得ることができよう。

こうした知見の獲得には、日本のソニーやホンダ、そしてその後を追う松下やトヨタ等のイミテータズヘッジ戦略を採った企業群の行動研究の成果があったように思われる。


◆ 固定費という不可分性費用と最適化の非凸性問題:
収穫逓増には不可分性を持つ固定費を故の非凸性

固定費は、連続した量としてではなくある塊として 「不可分性:Indivisivility」 が備わっている。
この不可分性の説明として、非凸性が、収穫逓増に関わっている可能性がある。こうした凸性は、収穫逓減に関わっているが、非凸性を使えば、収穫逓増を説明できる可能性がある。
凸性には微分積分が最適化に役立つが、収穫逓増には、微分積分は役に立たない可能性が示唆される。
つまり、「収穫逓増には不可分性を持つ固定費をゆえの非凸性」 が関わっている。

また、不可分な固定費問題は、連続的な変数の最適化などで有力であるが、道路や運河や橋や水道など研究開発だけでなく、公共財やインフラなども完成するまでに途中で止めたり、少し作って少しだけ利用するわけにはいかない。従って、収穫逓増は大きな固定費を完成するまでは実現できない、という現象が現れるからである。
こうして、最適選択論の非凸性と複数の均衡点が発生することになる。


4)最終製品の多様化と分業化と専門化

◆分業の程度は専門化の程度を決め市場に制約される

作業の細分化と繰り返しは、新しい道具や治具や機械の発明をもたらす。また、新しい材料やデザインの創出にも関わっている。それらは 「進歩」と言われる。
例えば、印刷機が発明されると、製紙メーカ、木材パルプの供給業者、インクメーカ、活字メーカ、活字フォント・デザイナはもちろん、印刷機組立メーカ、さらには鉄鋼、化学薬品、電気、工作機械など、印刷会社にとって必要な中間財を提供する企業が数えきれないほど関わってくる。
成長途上の若い業界では、分業化と専門化が同時進行する。しかし、専門化には必ず固定費が伴う。

新興企業の原動力は、新しい市場を捜し求める起業家である。起業家は、予め新製品を確保しなくてはならない。
固定費をカバーするためには、ある程度の規模で操業しなくてはならない。
ある程度の規模が確保できたら、単価は下がるが、専門化は、利益を生み出し始める。
つまり、「分業の程度は、専門化の程度を決める一方、市場に制約」 される。これは、アダムスミスが語りたかったストーリである。


◆ 市場の規模は中間製品の専門化の多様性に係わる

イノベ―ションは、ビジネス・プロセスの全ての段階で起こる。
大きな投資を経て、ビジネス・コアが開発できると、その用途の探索と開発の段階に移る。
そして各用途が開発され、そこでの用法の開発が成され、それは、社会的選択の波の中でもまれ新しい様式として発現しイノベーションが確立される。

このとき、大きな固定費は、いくつかにその用途が広がれば、用途別にコストが分担される。つまり、大きな森や山河を抜ける途が、幾つかの市場に繋がるハブになるように発展し繋がって行けば、その使用コストは、次第に下がってゆく。

「市場の規模は、中間製品とその最終商品の多様性に関係する」
もし、高い固定費を投下しても、いろいろな商品を作れる中間製品が安い変動費でつくることが可能になれば、ペイできる。
そのためには、やはり中間製品市場が広がらなければならない。また、中間製品からつくられる最終製品の市場も成長しなければならない。


◆ 市場の規模はツールの専門化と多様性に関係する

また、「ツールも最終製品の多様化と市場の拡大につれ専門化が進む」。これは、中間財と同様、用途の拡大に繋がり、専門化が進む。

これが、井深の言う”スジの良いコア技術”の要件の一つである。つまり用途の拡大と用法の簡便さと、その習熟と定着による様式への道筋の確立し易さとである。

また、いったん投資された固定費は、サンクコストとなり、比例費を少なくできることで、収穫逓増モデルとなる。そして、変動費を小さくでき利益が出ることになる。
ただ、費用の増減は設備が使われる頻度にも依存するし、設備が稼働して製造する品質、つまり歩留りにも、大きく依存する。


◆ 最終製品の多様化と差別化のためのブランド化

投資金額の大きな固定費を分散軽減するには、より大きな市場を開発する必要がある。そのためには、最終商品の多様化が必要となる。多様化は、差別化を必要とする。

ブランドの力は、差別化により独占的価格を生み出し、排他性をもたらし、多様化をもたらす。
こうした、新しい用途や用法を開発し、新しい市場を開発したベンダーには、ブランド・イメージのNo.1ポジションが得られやすい。
それが全く新しい生活様式となれば、”オークマン”の様に、
「SONY」=「ウオークマン」=「ポータブルステレオ・ライフスタイル」
といった、いわばイメージ上の、1:1のオン・ツーのブランド・イメージを確立でき、マーケット・シェアーの獲得に繋がる。

井深と岩間が一貫して、創業者利潤という新しいビジネス・ドメインの概念を大切にしたのも、No.1イメージ・ポジショニング戦略であった。
そしてこの二人は、一貫して品質と信頼性にこだわり続けたのである。つまり、イメージに実質を付けたかったからである。

また、SONYのコーポレート・イメージ戦略に、盛田は黒木と共に傾注した。
また、大賀はそれを製品のデザインに求めたのである。それは、ブランド・イメージをユーザが、形で確認し、購入と使用の満足度を満たしたいとする要求に応えたかったからである。


◆ パソコンとインターネットの夜明けとなった1984年

この優れたジャーナリストの著者は、1984年の経済学連合会のダラス会議 「経済史と近代経済学:Economic History and Modern Economy」 のポール・デイビットに注目する。

時あたかも、IBMとアップルのパソコンの両雄が姿を現し、もう一方、それらのエッジ同士を繋げるインターネットが大きな新大陸として出現すべく、着々と準備を整えていた時期でもあった。

また、ドナルド・レーガンが再選され、マネタリストの主張と規制緩和によってマネーが氾濫し、アメリカの中央銀行と世界的インフレの闘いは、5年目に突入していた。
そして、司法省はAT&Tに独占禁止法で圧力を掛け、そこからコンピュータ用OSのUNIXが解放された。
ただこのとき、ソニーは、NEWSでスタンフォード大学のUNIXを、選択をしてしまう。

一方、IBMはマイクロソフトにOSの提供を依頼し、それが圧倒的なシェアを占めつつあった。

そしてこの年の経済学の会議では、ポール・デイビッドの講演が注目を浴びた。
それは、例のQWERTYキーボードの並びについてだった。例えばもっと速く打つことができるDvorakキーボードが発明され、その打ちやすさが証明されても、職場に参入するタイピストはそれを受け入れかった。

人びとは、苦労して学んだタッチ・タイピングを活かせる職場を選んだ。QWERTYキーボードが、「ユニバーサル」 として知られるようになった。様々なメーカによって採用されるると、好循環が生まれ、他のデザインは使われなくなった。

これは、独占的競争と、収穫逓増の法則をやや複雑にしたストーリである。これは、「オープン標準」と呼ばれ、それはパソコンのウィンドウズのOSの1社占有ソフトとは対極である。
つまり、だれも所有権を持たない、だれでも自由に使えるのである。しかし、みんなが使えば、一社占有のソフトと同じ効果が生まれ、標準化が強化される。
それは、「ネットワークの(経済の)外部性(効果): network externality」 とも呼ばれるようになった。

時あたかも、レンタルビデオ店で、ベータではを盛田が禁止したいかがわしいピンクソフトから、店頭に並べられたカセットテープの展示シェアでVHSが凌駕し始め逆転した時期と重なっている。
それはまた、他人が同じ製品やサービスを使うという同調効果を「バンドワゴン効果:bandwagon effect」 とも似た現象でもあった。

そして、ポール・デイビッドは、「ロック・イン効果:Lock-in」 について語った。それは、ヒトが覚え込んだタッチ・タイピングの操作手順とキーボ-ドという機械の「技術的相互関係: technical interrelatedness」、後に、「戦略的補完性: starategic comprementarity」 と名付けられるが、それが確立すると、「事実上の標準: de facto standard」 となるのである。しかも、このような結果は「経路依存性: path-dependennt」 があるので、簡単には反転できない。
こうして、デファクト・スタンダードと、ユニバーサル化と経路依存性とが、技術的総合関係や戦略的補完性によって達成され、ロックイン効果をもたらすことが説明されたのである。


◆ 人的資本からスピルオーバという生産要素:1985年

しかし、こうした景気循環論やその対策とは別に、何故経済は成長し続けるのかという根本的な課題を、技術という要因をスコープに取り込んだ正面のテーマとして注目し採り上げたのは、1985年12月にイギリスのケンブリッジ大学のマーシャル記念講演で行われたシカゴ大学のロバート・ルーカスであった
そのテーマは、「経済発展のメカニズムについて: On the Mecanics of Economic Development」であった。

彼は、当時、世界では国民一人当たり所得格差が縮まらないのは何故か? なぜ日本やアジアの虎:韓国、台湾、香港シンガポールだけが成長し、インドやハイチは何故追いつこうとしないのか?
また、なぜ日本は7%の高い経済成長を遂げており10年で経済は倍になっているが、アメリカは2.3%で、インドは1.4%なのか。

そして、資本は国境を超えて労働は異動するが、逆はめったに移動しない。結果として富める国はますます富み貧しい国は取り残される。マーケット・メカニズムはここでも機能しない。何らかのロックインが発生している。
現実の世界は、富める者がますます富み、貧しきものがそのまま据え置かれる。つまり、収穫逓増と複数均衡とが同時に発生している。

市場が機能しない事例として、また機能し過ぎる事例が示された。聴衆は、また、マーケット・メカニズムは、時として「複数均衡」の一つに陥る場合があることは、全員が承知していた。それらは、「準最適解として収穫逓増」に結びつくことになる。

そうなれば、政府は介入せざるを得なくなる。彼は、その時明らかにパソコン・ソフトを意識していた。
それらは、スタンフォードの経済学者達によって、収穫逓増がもたらす 「孤児」とか 「便乗者」と呼ばれ、ミクロ経済学者達が、ネットワークの外部性の研究を始めていた。

それを説明するため、マクロ経済学ののロバート・ルーカスは、人的資本という概念を拡張した 「人的資本のスピルオーバ」という概念を持ち出した。
つまり個人が所有するスキルというアイデアから、近くで働くヒトのスピルオーバが、「経済の成長の代替エンジン」となるとして、モデルを構築したのである。

それは、技術革新に関わるもので、そのコミュニティに属するスキル水準(h)のN人の分布を考える。またスキルhの労働者がu(h)を生産のために使い、残りの1-(h)を人的資本の蓄積のために使うとする。そして、生産力がスキルを持った人的資本と投入資本とで決まるとすると、それが収穫逓増モデルで示せるということだった。

そして、そのモデルのパラメータを推定するためには、”なぜ、ヒトは大都会に集まりたがるのか?” そのインセンティブは、都会と郊外からの土地の価格勾配から推定できるのではないかとの仮説であった。
これは、後にノーベル賞をもらうことになるポール・ローマの修士論文を指導した師匠のロバート・ルーカスが、世界で初めて紹介した知識のスピルオーバという現象を、判り易く解説したものであった。
そして、「メカニズム」という言葉が衝撃的に伝わって行った。


◆ シカゴ大のシュライバー等のビッグブッシュ:1987年

シカゴ大の若手シュライファー等3人組が論文 「産業化とビッグプシュ:Industrialzation and the Big Push」を1987年発表した。
その考え方は、ソビエトの1928年のスターリン時代の5カ年計画に遡る。これは、電力や鉄鋼などの基幹産業に大型投資を行えば、ソビエト・ロシアでも地力で農業国から工業国になれるとする確信によるものであった。

この名づけ親は、ハンガリーのローゼンシュタインであるが、ビッグプッシュが成功すれば、どんな発展途上国も、効果が発揮され、農場から都市へ、学校へ押し出されて行く。
ただ、都市にはインフラが必要となり、人びとには教育が必要となる。ただ、これができるのは政府だけだ。
それができれば、あとは正のフィードバックが働く。

ただ、この論文が理解されやすくなったのは、1968年のP.ローマによる正のフィードバックのメカニズムが明確にされたからである。
それが1989年、改めて発表されると、単にタイプライタ-だけでなく、「正のフィードバック効果」をもたらす 「ネットワーク産業」全体にわたって、市場メカニズムがもたらす効果であることが示唆された。


◆ 専門化が起こす収穫逓増に基づく成長:1987年

ポール・ローマは、専門化と差別化のモデルに取り組んでいた。人びとを都会に引き付けるのは、スピルオーバなのか、あるいは専門化のチャンスなのか?

そして結局、経済成長を左右するのは、商品の登場だけであり、それが全体を押し上げるというモデルを開発した。1987年「専門化が引き起こす収穫逓増に基づいた成長:Growth Based on Increasing Return Due to Specialization」 を発表した。

モノは通常、競合財であり、また排除可能である。つまり食べ物、衣服、住宅などの競合財は、誰かが所有していれば他の人は所有できない。領域(1)
ただ、モノでも、公園や道路やキャンプ地などは、何時でもだれでも先に来たものが使えるが、後からでは使うことができない競合財であり、排除はできない。領域(2)

【図4.6】
OutlineShape1

一方、映画や音楽や知識や技術等のソフト・ウエアは、モノと違って非競合財である。
ソフト・ウエアは、簡単にコピーでき、初期投資を誰かが負担してくれれば、後を追いかけるだけで、比例費が小さな収穫逓増モデルを得ることができる。それを防ぐために、特許や著作権等知的財産がある。領域(4)

ところが、非競合財でも、排除の可能性については、いろいろなケースがあることを、いろいろな経済学者が研究した。特に(3)の領域である。

ただ、こうしたソフトのような小さな変動費を持ったものでも、競合性を持つものと、非競合性を持つものに分けることができる。前者は民間財と呼ばれ、後者は公共財と呼ばれる。例えば、パンは前者であり、後者は花火大会や国防費等である

まず、映画はソフトの非競合財ではあるが、映画館が満席になれば、見ることができない。また、デズニーランドに入って、人気のワールドに長い列ができていれば、あきらめざるを得ない。
また、非競合財の、灯台、音楽の録音、パソコンのソフトプログラム等には、幾ら使っても使いきれないが、分割できないという要因が存在する。建築され、演奏され、プログラムされるまでには存在せず、そのためには、誰かが固定費を投下せざるを得ないが、一度完成すれば、分割できず、また排除できるとは限らない。

これは、ローマによって、クラブの会員権等の理論を含む、排除可能から排除不可能のグレイドによって各種の財が区分できる表として整理されて行った。


5)1990年からのアメリカと経済学:
独占的競争と比較優位の統合

1991年は、東西冷戦の終了した年でもあるが、その後の激しい国際紛争の幕開けともなった。
前年からくすぶっていたアメリカとイラクの関係は、1月 フセインのクエートへの進攻をうけ、ブッシュ大統領は多国籍軍を編成し、イラクを空爆し湾岸戦争が勃発した。
同年8月 ソ連の共産党が解散し、年末ソビエト連合崩壊した。

この年、ティム・バーナーズ=リーによって世界初のWorld Wide Webサイトが開設され、インターネットの全貌が浮上しつつあった。

一方日本では、それに先立つ1986年に、ソニーのMSXのアダプターのHit Bitで使えるサービスの広告として、「インターネット」が 「掲示板」や 「電子メール」等と並んで、写真付きで掲載されているという事実もある。


◆ 成長をもたらす要因は知識の蓄積:ローマー’90

1988年シカゴで行われたポール・ローマによる発表は、歴史的なインパクトを与えた。テーマは、「累積的技術変化のミクロ的基礎:Micro Fundayion for Aggregate Technological Change」 だった。
ただ、これは後に、「内生的技術変化:Endogenous Technological Change」 というタイトルに変更され、「ローマー’90」として知られるようになる。
この中で、成長理論の観点から始め正式に、「知的財産という概念が、生産の投入・産出の双方に知識というカテゴリーで記述」 されたことで、知識は累積的レベルでも経済モデルに組み込むことができたのである。

この冒頭で、「真に重要な結果をもたらすのは物理的資源の蓄積ではなく、知識の蓄積である」とした。
ここではまだ、「非競合」知識という言葉を使っていない。その代わり「具現化された知識:Enbodied Knowledge」 (死ねば消滅する人的資本)と、「具体化されない知識: Disembodied Knowlege」 (死んでも消滅しない人的資本) という区別を使った。

ローマーは、この後数年かけて、知識という言葉をゆっくり固めていった。
例えば、「レシピ: Recipe」, 「青写真: Blueprint」、[アイデア: Idea]、「操作マニワル: Instruction」 等であるが、「知的資本:Intellctual Capital」 や、「ソフトウエア」、「ハードウエア」、「ウエット・ウエア―」 等は一貫して敬遠した。

やがて、競合財と非競合財という区別は、具体的対象と無形の知識という区別と同一であるという理解が、専門家の間でも固まって行った。
また、「”新しい知識” は、これ以上小さくできない「まとまり: Impiness」 を有している。それは、固定費が含まれているからであるということが本質的である」という事実であった。
これは、「公共財と似ていて、橋も道路も完成しないと使えないし、完成すれば、誰でも使える。ただ、新しい知識は、同時に多くの人が使うことができ、しかも使っても有益性は損なわれない」 という事実に沿っている。


◆ 成長のカギは、「イノベーション」 とそれを使う「起業家」

「分業は、市場の大キサによって制限される」 という法則は、「新しい知識にとってそれが非競合財である」 ということが重要であった。それは、新しい知識の使い道を捜し固定費を回収することに繋がらねばならないという意味である。

固定費は設計が使われる回数の影響を受けない。「材料と生産者と最終商品の消費者との間には専門的な事業の集合体が複雑に関わっている」。本当に大きな市場は、数えきれないほどの専門家が関わっている。
したがって、「分業のための市場規模、つまり専門家や彼らの発明品のてめの市場規模」が問題となる。
ただ、「この市場規模は、単なる人口の規模だけでなく「高度なスキルを持つ ”クリエイティブ・クラス” の人口」 が関係する。

また、より重要なのは、「新しい知識に市場を開放すると通商政策が厚生に影響するだけでなく、成長率そのものに影響する」ことを、このモデルが示したことである。
新しい知識の経済学は、モノ作りの経済学とは大きく異なる。なぜなら、知的財産から基礎研究に至るまでの新しい知識は、実質的にコストを掛けずに何人もの人達が、同時に利用できるからだ。
従って、”成長のカギとなるのは、「イノベーション」、つまり新たに発生する様々な「新しい知識・取説・手順の説明の集合:Sets of Instruction」 とそれを使う起業家”、ということになる。

古い材料を新しい方法で組み立てるには必ず訓練という形でも人的資本を追加することはもちろん、物理的資本を増やす必要がある。
しかし、注目すべきは、数々の新しい知識を見つける費用の方だ。人びとは金を儲けるため、新しい知識を特許にしたりそれを秘密にし、その利点を活かしもっと新しい知識を創造する。


◆ 成長のカギは、「独占的競争」 と「通商政策」

もう一つの点は、「独占的遍在性」に関わるものだ。
それは、”経済全体で独占的競争が進行し、価格形成が行われている”ことを意味する。
新しい知識は全てあらゆるものがブランド名を付けられ、あるいは上手に差別化される。ここでは固定費という概念が大きなカギを握る、

例えば、ビデオ・テープ・レコーダは、アメリカの企業で発明され、日本の企業でリファインされ、韓国の企業でコピーされた。
技術革新は、開発者の同意が無くてもコピーして利用できる。特許や企業秘密によってある程度は制限されるかも知れないが、新しい知識、特に知的財産といわれる新しい知識が人的資産と大きく異なる点は、こちらの方がはるかに模倣しやすいということである。

従って、貴重な資源を使って、新しい知識をどんどん生み出す研究開発部門が、「無限次元のスプレット・シート(註*)と呼ばれる分散型一般均衡(註**)」 の枠組を使って、モデルの中に組み込まれているのである。
(註*):非常に多くのアトリビュートをもつ個々の主体の集まりがベクトルの形で整理されたデータ
(註**):すべての財の市場の需給が一致する競争均衡価格の存在や、競争均衡における資源配分がパレート最適である厚生経済学などが、一般均衡分析の重要な性質として知られる。レオン・ワルラスが1870年代に創始し、パレートによって発展せられ、1950年代にケネス・アローなどに継承された。
なお、一般均衡理論の想定する市場経済は、個々の参加者がそれぞれの視野・合理性・インタラクションの限界のもと、自らの価値観によって独自に意思決定し行為する自律的システムであるとしている。

さらに、ローマ・モデルでは、「独占的競争が当然視」された。技術的優位に備わった利点は、市場の失敗ではなく、ゲームのルールの一部であると見なされる。
それにより商品やマーケティングに関する利点はしばらくの間、企業秘密にされ、商標権や特許権で保護される。その結果、販売価格を限界費用より高く設定できるので、新しい知識に投入した固定費を回収できる。
収穫逓増は、多くの情況で標準となる。

新しい知識で最も重要なのは構造であり、ここでも、「競合性と非競合性の区別と排除可能性」 が役に立つ。
「有益な新しい知識を創造するプロセスは、ある人物や物事に特有の情報を集めて一般化し、それを広い範囲に応用する作業」を伴う。
それによって、「個人的な情報は、大勢の人が利用可能な新しい知識」に変化する。
つまり、「独占的競争を偏在化する知的財産権等の通商政策が必要」になる。

以上、ここまで、国家と企業が競争し、共存し、経済を成長させる制度やルールやメカニズムを、1995年位までの、ノーベル経済学賞の受賞者の働を中心に見てきた。

ただ、この1995年2月に、「ノーベル経済学賞の対象分野を社会科学と再定義」することが正式に決定された。これによって、心理学、政治学、社会学など経済学と接する分野の学術研究者に賞が与えられる可能性がより大きくなった。同時に、それまではその全員が経済学者であった5人の審査員の内の2人を非経済学者とすることが規定された。

それは、実利実用性への貢献という観点への転換である。そこから、GAFAMと言われるWEB2.0の時代を牽引する企業が生まれてくることになる。この続きは、続く章でのお話しとなろう。




3.3 技術敗戦と発展途上国的様相を呈する日本

日本のGDPは、1995年から、2022年に〈至るまで、ほぼ成長は見られない。これは、2040年まで続くとする見方もできる。中国の60倍は言うに及ばず、アメリカも4倍に成長している。
敢えて、その幾つかの要因を考えてみよう。

【図4.7】名目GDP対米$換算
OutlineShape2

1) 技術市場と切り離された後進国型の特許法の壁

日本の特許法は、かっての明治以来の後進国時代からの流れを未だに引きづっているように思われる。つまり、先進国からの技術防衛的な立法の姿勢である。
その典型的事象として、日本では 「特許の売買市場」が全く育っていないという事実がある。

その結果、売れる価値のある特許が、少ないという事実があり、また、売れる強い特許を書ける弁理士が居ないとの、GAFAMからの厳しい指摘がある。日本の特許は、1ドルでも買う気になれないと。
因みに、急激に特許売買市場が急成長したのは、中国である。2000年頃には、「特許って何?」と、言っていた中国の企業が、日本で公開された出願特許を少しだけ編集し、どんどん特許化したのである。それは、国家政策で、企業が保有する特許の件数で優遇策を支援するようになったからでもある。

これは韓国も同じで、一時日本は、”部品は日本が強い” と言っていたが、それも今は昔の話となった。
例えば、CDのピックアップ1個に関連する特許は日本に12,000件あると言われ、お互いにクロス・ライセンスしているため、日本で造っている限り、護送船団方式で守られていた。
しかし、これから韓国や中国で造ろうとすると、それを修正したそれぞれの国の特許の壁で、ダメになったのである。

また日本では、それを汲み込んだ製品について、特許の侵害訴訟を受けた時は、部品ベンダーがその第3者からの訴訟リスクを負うことが、長い系列取引時代からの商習慣でもあり、契約条項にもなっていたのである。

しかし、最近、「2021年10月14日、日本最大手の鉄鋼高炉メーカの日本製鉄が、トヨタ自動車を特許侵害で東京地裁に提訴した。日本製鉄は両社にそれぞれ約200億円の損害賠償を求め、さらにトヨタに対してはその特許を使用して製造したとされる 「無方向電磁鋼板」 を使った電動車の国内製造・販売を差し止める仮処分を申し立てている。」 と報じられている様に、この第3者免責の有効性について疑問が提起されるようになった。
これには、株主資本からの圧力もあるように思われる。
この日本の問題点は、一重に特許法が世界に追い着いて行っていないことに一因がある。

例えば、USでは、侵害の疑いを掛けられたものは、自らの潔白を証明する責任があある。いわゆる 「リクエスト・ツー・デスカバリ」 制度である。
これには罰則規定ではないが、ベスト・エフォートの義務が課せられている。

そしてもし、それが訴訟の段階で、隠していたことがバレた場合の損害金は膨大な額となる。それに、元々、損害金の額が、日本に比べ大きいことも重なっている。
日本では、その立証責任は、100%権利者側になっている。つまり遅れて参加した日本が、先進国からの侵害を防御する姿勢が強い。

そして、警告書を送っても、担当の特許担当部長の責任とされ、ぐずぐずと時間稼ぎをされ、代表者に送っても、コンプライアンス担当役員に送っても、担当者に回され、知らぬ存ぜぬの一点張りである。

また、別な例では、手振れ補正にステッピグモータお使う方法を開発したベンチャが、大手カメラメーカから、その簡単な改善特許を出され、自社がその部品ユニットを製造販売していたことから、逆に脅されたと語っている。
いずれも、現在の中国や韓国同様、後進国時代からの守りの特許政策をとっているのである。
これでは、日本からベンチャが生まれる余地は少ない。

実は、この弊害は、大企業自身にも及んでいるのである。
例えば、いま、資本主義は単なる数え上げられる有体物を金額換算したバランス表だけでなく、インタンジブル・アセットで評価される時代に入っている。つまり、いずれも過去の成績票であるPLとBSだけで株価が決まる時代は過ぎている。
それらに加え、統合報告書が求められている。それは、未来に向けて、何を目指して、その存在意義、パーパスは何かが問われている時代である。

しかし、日本の大企業が持っている特許技術に、市場は価値を付けることができない。
理由は簡単で、日本では、特許技術の客観的な価値を付ける市場が存在しないからである。

2000年にドラッカーは、「やがて技術の価値を、5年以内には評価できるとうになるだろう」 と予言した。
しかし、まだそれは、道半ばに過ぎない。ただ、世界の株式市場は、Googleのそれに見る様に、折りこみ始めているように見える。ただし、日本の企業は、その土俵に上がることもできないという現実がある。

いわゆるGAFAのうち、Googleとフェースブックが特許権に目覚めたのは、最近である。というか、企業自体も最近なのである。
日本で、プログラム特許が認められたのは、2002年であった。アメリカでは、古くから方法特許が認められており、その中にプログラム自体も含まれていたのである。

ただ、一重に願うのは、日本に特許の売買市場が、中国の数百分の1かせめてUSの数十分の1でも、その市場の出現することを祈るばかりである。


2) ポジティブリストから抜け出せない著作権法の罠

イノベ―ションの根幹に関わる著作権の日本の事情はもっと深刻である。


◆ 日本語コーパスは国の技術力に関わる知的財産

大英帝国が編纂した有名な大英帝国コーパスが、英国の実践技術の基礎ともなったように、またデドロ・ダランベールの百科事典が、当時のヨーロパの先進国にフランスを導いたように、知識や技術の根幹は、言葉とその用法を、蓄積され、検索利用できる形に編集された辞書、つまり知識のデータベースにある。

知識は、宣言文や手続き文というテキストで記述され、記録され再生される。また、その具体的事例は、エピソード文として、記述、記録、再生される。
AIやビッグデータの時代に在って、その知識を処理するエンジンも、その原料や燃料となるデータや情報も、日本語である。

技術や医学やビジネスの基礎は、数式と言葉である。しかし数式は言葉で表現できるがそれを簡単に集約した表現に過ぎない。
特許の権利範囲を規定するのも絵でもな数式でもなく言葉である。権利義務を定める契約書も言葉であり、法律も言葉である。

民族のアイデンティでもある言葉は、民族の知的財産である。言葉は、生きている。日々生活の中で使われ、また作られ、忘れられて行く。しかし、その根底にある文化は、言葉によって支えられ、変化している。
言葉は、その民族は長い歴史の中で、社会を構成するコミュニケーションの基盤であり、その民族の掛け替えのない知的資産である。


知識情報産業の時代にあって、著作権は、特許権以上にビジネスにとって、また社会にとっても、重要となっている。

問題は、単に生きた日本語のコーパスをGoogleが独占しているだけでなく、そこへのアクセス・スピードさえ制限しているという事実である。
共起度の頻度へのアクセス制限を掛け始めたのは、確かまだYahooのポータルの独自の検索エンジンが元気だった2006年頃、いよいよGoogleがデファクト・スタンダードになることが明確になった頃だったように思われる。

いま、生きた日本語のコーパスは、残念ながら日本のどこにも存在しない。Googleは、それは、1000万台以上のクラスタ化された日本以外の国のサーバの中に存在している。
つまり、日本語の意味解析するためにアクセスする手段やスピードを、日本人は自らコントロールできなくなったのである。
それは、Webをクローリングし、日本語の単語とその用途用法に関するアプリケーションの辞書を造ることが日本の著作権に抵触するかどうかの文科省からの確約が得られなかったからと思われる。
(もっとも、2022年にGoogleは、データセンターを日本にも設置すると発表したが、そこに何を集積するかは発表していない)

しかし、こうした知識データベースが、日本の技術の基盤であるということを、日本政府も学会も、気が着いていない様である。
いわゆる日本語コーパスという日本の知的文化資産を、日本人がデジタル・データとして保有し、自由にアクセスできないという現状がある。
これこそ、アメリカ人からすれば、決して許すことができない、まさに 「フリーライダ」である。


◆ 技術の基盤は文化であり、その元は言葉である

日本人の技術の根幹となるのは、文化である。
何を喜びとし何を善しとし、何に貢献することを正しいとするか、そうした価値観は、日本が長く育てた大切な財産である。それをGoogleに独占されているという事実を知る日本人は少ない。
いま、総務省が今、しこしこと細々と蓄えているのは、著作権が切れた70年以上昔の(TPP条約加盟までは50年であった)、古事記や万葉集やせいぜい樋口一葉や夏目漱石の文章ではあるまいか?

例えば、「インバウンド」という単語の出現頻度の増減が景気動向とどのような関係があるかという問題がある。
急に出現頻度が高くなって、景気動向が良くなったとするか、逆に景気動向は低くなったと理解するかである。
これは内閣府がすでに10年以上から続けている景気ウオッチャーという街角診断データがある。以前高まったときは大阪の百貨店での景気が良くなったというポジティブな言葉であったが、だた昨今、コロナ禍で、これはネガテブなイメージを伝える言葉に替わっている。
こうした、意味を連想するには、インバウンドという言葉が他のどのような言葉伴い 「共起する他のどのような言葉との出現頻度」によるのである。

日本語の分析には、最近の辞書を使って形態素分解を前処理する必要があるが、その辞書は、今現在の日本人が使っている言葉とその使い回しているそのアプリケーション、まさに生きた日本語の知的財産が必要で、それが”日本語コーパス”である。

例えば、特許の出願傾向の分析をしたいとする。その時夏目漱石や万葉集からの日本語辞書で間に合うはずがない。
因みに、最近の形態素分解用の手作りの辞書には、”イン”と”バウンド”という言葉はあるが、”インバウンド”という言葉は、最新の日本語の電子辞書には無いのである。

Google は日本語を徹底的に研究している。
日本語のカナ漢字変換にアルファベットの入力を1文字入力したとき既に先周りし次の文字を予測している。そればかりでなく、後からの入力で前の入力が間違って居なかったかも前後を逆に検査するアルゴリズムを特許化している。
これは自働翻訳にも威力を発揮している。
そのため、GoogleはWebを探って、日本語コーパスを日々更新している。

いま注目のビッグデータには、データ・マイニングだけでなく、テキスト・マイニングにも、これが威力を発揮する。


◆ ややこしく複雑な日本の著作権の建て付け

明治天皇の勅許を仰いで先進国入りを急いだ著作権法は、大陸のローマ法の流れを汲んだ法体系のもとで、本質は、それ以来全く変わっていない。

しかし、こうした根源にはもっと深い背景がある。それが著作権という法理の根底にあるアメリカのコモンローと、大陸のローマ法の流れを汲む日本のシビルローの法理体系にある様に思われる。
つまり、過去から縛られた君主からの束縛からの自由を主張するリバティと、将来に向かっての行動の自由を主張するフリーダムの違いから来ている様にも思われる。

過去からの束縛から獲得した範囲を確保したいという主張は、その姿を予定調和的に思い描いた体系であり、コモンローは、やって見ることの自由、つまりやっても良いがもしそれで何か誰かに迷惑をかけたら、それは村の外れで、リンチに掛けられようがハンギングされようが自己責任であるという法体系からきているように思われる。

この差は、いま、イノベ―ションが加速している中、大きな差を生むように思われる。

つまり簡単にいえば、アメリカの著作権は、毎日毎晩、ある形式コンテンツの売買形式が開発され、取引されるとその瞬間に、著作権での保護対象となる。つまり、時々刻々と著作物は生まれることが許されているのである。

一方、日本では、著作物は、紙に印刷された物であるというところから始まっている。その権利は、技術の進展に従って実現された新たな追加事項として法律としてリストアップされたときに限られているのである。
つまり、日本の著作権法では、権利化できるのは、これとこれと箇条書きされたものに限られる。アメリカでは、やっていけないのは。これとこれと規定されている。

ただ、思想と感情の表現を保護し、その創造性にインセンティブを与え、社会を豊かにする制度として ”やって良いことを文章でリストアップする、ポジティブ・リストアップ法式” には、自から無理がある。
現在のメディア技術が急速に進化する時代に、”伸びる竹に木を繋ぎ足して行く”ような形で、日本の著作権法は、複雑極まりない条文の構成となっており、一貫性の理論やその解釈も議論も追いつかない。

その結果、文科省も裁判所も、技術の進化に追いつくために、必死である。結果、日本も、例外規定、特別規定、制限規定、但し書き、附則、括弧書きなど等、ややこしい建て付けとなっている。

例えばそこには、つい最近まで、サーバへのアップロードは、著作物であるとの定義はされていなかった。
その結果、通産省が興した”情報大航海時代”というプロジェクトは、著作権に触れる行為かどうかで議論がされ、管轄する文部省にその判断が委ねられた。結果は、当然、直ぐには出ない。
また、日本独特の本音と建前を使い回す、明文法とは名ばかりの、白い霧の中に閉じ込められ時が過ぎて行く。
従って、日本では、やりたいことを申請し、役所が判断を任される。それまでは、動けない。リスクがある。

この件、沙汰やみとなった。
その間国費は120億以上無駄になった。その後に続いた総務省等のプロジェクトも同様な運命を辿るであろう。

一方、アメリカでは、やってみて社会に損害を与えたら、責任を覚悟できれば、やることができる。この差は、極めて大きい。

著作権で守られるリストに、サーバにアップロードしたデータベースも該当し守られるという法律が改正されたのは、つい最近のことである。
つまり日々刻々と発明され、権利化されるアメリカに対し、明治天皇の勅許でリスとアップされるまでに、既得権益を死守することをモットーとする役所が判断を預かり置くとされる日本には、サーバさえ、設置できないと判断されても仕方がない。


ただ、最近TPPへの参加となって、少しずつ、アメリカ流コモンローの方式への摺合せと調和をせざるを得なくなっている。
特に、近年の激しいICTの技術革新の時代を迎え、社会の人工環境情報の動向を織りこまないといけなくなってきた。そのため、判例を積み上げ、改正を繰り返すようになってはきている。

ただ、これ等のプロジェクトが継続されていたとしても、Google よりも使いやすい優れた日本語コーパスを維持するためには、1000万台のサーバを構築し、運営するコストをだれが負担するかという問題がある。
Googleは、こうしたサーバのための原子力発電所を検討していると伝えられる。

最近、日本の著作権に関する優れた著作が上梓された。「著作権ガイダンス」、白鳥綱重著、発明協会である。著者は、ローマ法の流れをくむ早稲田の法科からアメリカのワシントン大学のMBAで、コモンローを収めた異色の経歴をもっている。
この本では、日本の役所の著作権を大切にし、その良さを啓蒙し解説する立場から書かれているが、イノベ―ションの妨げとなっている側面を、もっと抉って欲しかったと思われる。

しかし、これこそ技術だけでなく、法律、経済、行政からマネジメントに至る大問題である。いずれ欧州も独占禁止法の適応を検討すると思われるが、アメリカ自身もバイデン大統領が任命したFTCのカーン氏も、巨大かしたICT企業の独占的活動を、規制する可能性があると報道されている。

世界でも唯一、その例外は、中国の百度に限られる可能性があり、その時中国のイノベ―ションには、羽根が生えて一人世の春を迎えるに違いないだろう。

以前、日立製作所が、Googleと同じ検索エンジンのアルゴリズムを開発したのに、なぜGoogleの独走を許したのかと、ソニーの出井が周りに聴いたことがある。
出井の思いは、著作権のそれにあるのではないかというものであったが、確かにそれが基本的な問題であったことは事実であるが、実はもう一つ大切な事実があった。
それこそ、ノーベル経済学賞の受賞者たちが研究していたオークションというマッチング・メカニズムの理論だったのである。

ただ、エンタメ産業を死守したいアメリカの著作権に関する権利の主張は、ミッキーマウスの年齢にそって延長されてきた歴史がある。現在の日本の著作権は、著作者の歿後70年であるが、またミッキーマウスの誕生日から数えて、その年齢が延長されると、日本も追従を余儀なくされることになるであろう。






3.4 領土を細分化し進め守りを固める産官学のワナ


1) 細分化し立て籠るタコ壺に大学、学会、文科省の壁

そうした結果をもたらしたもう一つの原因がある。それは、日本の大学の学部の設置の権限を文科省が握っていることにある。

それは、1985年に終わった日米の技術覇権戦争の結果、日本が、科学至上主義に落ち込んだことも関係している。
一方、アメリカでは、最も尊敬される職業や歴史上のヒーロ達は技術者であり、尊敬される人物は、トーマス・エディソンや、ライト兄弟や、フォード等のテクノロジーのエンジニアである。

そして、アメリカ社会で尊敬される 「P.E.:プロフェショナル・エンジニア」という資格は、機械、電気、建築土木、化学、そしてI.E:インダストリー・エンジニアの5つのカテゴリーに限られている。
このカテゴリーの基礎となっているのが、I.E.で、そこでは、データの処理技術と、標準化技術と、マネジメントの技術が要求されている。

日本でも技術士という文科省が仕切っている制度があるが、そのカテゴリーは、既得権益を持った大学の教授達の学問の分野によってどんどん細分化され20のカテゴリーに増幅的に細分化された。結果、実際の技術的問題に立ち向かえるかどうか懸念される。

また学会の細分化現象は、学問・学界の細分化が進む現象と軌を一つにしている。
東大の吉川弘之先生がそれを憂いて、「横幹聯合」を作られたが、細かく縦にササラ状態になった学会を横に束ねても、世の課題に立ち向かうには、脆弱である。もっと、技術志向、つまりもっと目的志向が必要ではないだろうか?

また、日本では、長らく、「データ・エンジニア」に関する学部を持った大学は存在しなかった。日本初の統計学とコンピュータ・サイエンスを研究し教育するデータ・サイエンス学部ができたのは、2017年の滋賀大学が始めてである。
既に、韓国では17校、中国では40校、アメリカやインドでは、数百を数えるだろう。

これは、「標準化技術」に関しても同様である。
いまから、50年以上前でも、アメリカには、700を超える専門の学部や学科があったが、いま現在、日本にはまだ存在していない。

これは、データの品質にも影響する。日本の診療医の優秀さは、世界のトップレベルかと思われるが、医療データの品質レベルがOECDのなかで、ほぼ最低であることも良く知られている。

厚労省も、医療データのデジタル化の前に、課題として、診療記録等、標準規格の適用が十分ではないとして指摘している。
データ連携が技術・構造・統合(syntactic) なレベルで課題を抱えたままである。

もちろん、これには、さらに隠された理由がある、それは、日本では、”診療医に比べ、病理医の数”が圧倒的に少ないという事実である。
アメリカでは、診療医は、手術の経過を「OAセンター」にデクテーションして、報告し文書に残す制度や法律で定められている。

こうした幾つかの問題が、日本でイノベ―ションが起きにくい点を構成しているように思われる。
2022年日経新聞4月5日で、名古屋商科大学の栗本学長は、次のように寄稿している。
「大学改革支援・学位授与機構の調査では日本には学士号だけで600種類以上があり、その7割が1大学のみで使う「オリジナル学位」 だ。
米ニューヨーク州で授与される学士号が25種類であることを考えると過度な細分化であり、国際通用性からかけ離れている。」
そして、日本の経営大学院の国際認証校は6校で、台湾の26校の1/4であるとしている。

文科省には、どこかの大学の学部の名称を更新した課長は、それが業績となるようで、昔多くあった”経営工学部”という名称を未だ使えている大学は2~3校にとどまるのではなかろうか?
時代に合うように適応することも大切ではあるが、社会に貢献できる志をもった、世界に羽ばたいた日本の技術者達の伝統を守ることにも、意を使って欲しい。


2)米中の第3次技術覇権世界戦争と日本

折しも今、世界は、米国と中国は、第3次技術覇権戦争に突入している。
2005年位まで、特許権に疎かったかったと思うわれるファーウエイも、国の見事な奨励策で、特許の獲得に目覚めた。
また、安い労賃を使った深圳地区のEMSは、日本と台湾の地の利を生かし、アイデアをすぐ試作し、上海の金融と組んで、また、上海の市場に流し、瞬く間に量産し力を得た。
こうして、日本とアメリカの電気メーカからほとんどすべてのPCや携帯電話や事務機等の受託生産を引き受けるホンハイや京東集団などの大企業を育てた。

彼らの元には、世界中の最先端の電子機器について、その企画書が持ち込まれ、生産の依頼持ち込まれた。彼らは、そうしたアップルを始め、IBMやソニーからの依頼が殺到したのである。

当初、サムソンやLG電子も、携帯やノートブックPC等の細かいCR部品や半導体をプリント基板にマウントする技術を持たなかったが、日本からチップマウントプレーサの機械の売り込みもあって、それを見事に手中にすることができた。

また、日本の部品は、当初圧倒的なシェアを誇っていたが、それは、特許権クラスタを日本で形成できたいたからであった。
しかし、日本の先願法に基づく特許法は、出願して18ケ月後に強制的に公開される。
それを韓国や中国は、少し編集して、自国の特許としてファイルし始めたのである。
そして、特許権の所有本数によって優遇する国策によって、知的財産権を獲得していったといわれる。

カナダでファーウエイの副会長が逮捕され、一気に米中の技術覇権戦争に発展した。
しかし、日本は、米国と中国の狭間で、荒波を受けて、絶海の孤島でもがいている。

イノベ―ションには、プロダクツとサービスとがあるが、大量生産されるプロダクツの供給能力は、もはや需要を上回っている。
サービスは、時間の経過のプロセスの中で価値を生む。その価値は、タイム・プレイス、そしてオケィジョンでその求められるコンテンツが異なり、個別具体ニーズであり、大量生産・大量流通・大量在庫ができず、需要はその供給量をはるかに超えている。

GAFAMは、そうした個別具体な、サービス・ニーズを満たす、つまりそれは状況変更ニーズを満たすソリューションを提供できている。
そして、それを提供するためには、グローバルなデジタル・ネットワークを活用している。つまり、そうしたグローバルに広がった個別具体を結ぶのは、ICT、情報技術である。

そして、イノベ―ションは、プロダクツの構成と、その製造プロセスの構成から、サービス・メカニズムの構成とサービス・プロセスの構成へと、シフトしている。
ただし、プロダクツは、サービスを実現するプラットフォームである。サービスでプロダクツを必要としないサービスは無く、プロダクツでサービスと関わらないプロダクツもまた存在しない。

また、GAFAMが、それぞれ、ハードに大規模な投資を重ね、外堀を深く掘り、石垣を高く積んでいることも、それぞれの分野に棲み分けながら、独占的競争状態を構築している事実にも、注目しなくてはならない。

本来、社会的共通資本であるべき日本の法政策は、そうした社会に価値を積み上げ、人びとの力を引出し、集め、積み上げ、今より未来が良くなるような流れを支援しているであろうか?